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2007年05月28日

九州三十六不動霊場会主催、お不動様信仰と巡拝修行の旅。

毎年6月22日23日24日の2泊3日に開催されている、九州三十六不動霊場会主催、お不動様信仰と巡拝修行の旅。
本年度の巡拝スケジュールが判りましたのでここに記します。

北朝鮮行きは諸般の事情により延期されておりますが、朝鮮半島にはより近い九州の不動尊霊場でもあり、更にご縁を深めさせていただくためにも、今回の参加を決めました。

集合場所は、第8番札所「三明院」さんに12時30分。バスでの移動となります。

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2007年05月08日

烏帽子山 最福寺 (九州36不動霊場めぐり 16番札所)

九州の霊場に惹かれて巡礼をはじめたのは、確か昨年の12月頃。
鹿児島の桜島を望みながら、その壮大なエネルギーを感じながら霊場での満願を願ったのでした。
この頃小生は何かしら強い悩みを持っていた。それは仕事だったのか、それとも他の悲しみによるものだったのか、つまり自らに固執した煩悩であったのだと思うけれどそれを断つのに巡礼を始めたともいえます。

この最福寺を訪ねたとき、護摩壇には猛き聖火が上がり池口恵観師のからだが火生三昧にうつっていた。
脇僧も無念無想の観をたたえて陶然としている。
香煙のむこうの信者を瞠目すると、瞑目一指の指は不動明王の印を結んでいた。
祈る僧、祈られる衆生の心が一体となって火焔の中に住しているのを観たとき、不動明王の威力を信じて疑いませんでした。
(この様子の動画を載せておきます。クイックタイムが入ってれば観れる筈です。5.7MB、右クリックでファイルに保存して観てください。ファイルをダウンロード

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2007年05月07日

高野山 西大寺 (九州36不動霊場めぐり 15番札所)

九州三十六不動霊場巡礼第15番札所、高野山西大寺に向かう途中、「唐人古墳群」という案内板が目に入ったので立ち寄った。
前に立ってみて、まず目に入ったのは大塚神社。

大塚古墳は、南面している前方後円墳で、直径185メートル、後円部の径も101メートル高さ12,6メートルあるとの事だ。
肝属川河口から上流約1キロメートル左岸の唐人地区に位置し1号墳の大塚古墳を中心とした大小140余基の古墳群の1号墳であり、この古墳をご神体にしているのが大塚神社だと言うことだ。

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2007年04月02日

福昌禅寺 (九州36不動霊場めぐり 17番札所 )

九州の霊場を逆打ちで発心して以来、福岡県〜佐賀県〜熊本県〜大分県〜長崎県、そして結願の地は、小生が母親の出身地、鹿児島県となりました。
その最初の寺院は、九州三十六不動霊場三番目の曹洞宗寺院です。

曹洞宗の本山、永平寺のご開山、道元禅師は「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは自己を忘るるなり」と、おっしゃいました。
これは「仏の教えを学ぶものは、自分を忘れることが何よりも大切なことである」とお示しになった言葉であると、小生は受け取らせていただいております。

このように道元禅師は自分を忘れることで、自分を捨てることとされ、何がなんでも私がと自分の幸せばかりを追い回しても、幸せは咲きへ先へと逃げていって、掴むことは出来ないと教えられています。

しかし、今回の発願の際も、心にあったのは、自分の思いばかりではなかったかと、振り返り思うところもあります。

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2007年03月13日

光明寺 (九州36不動霊場めぐり 11番札所)

今回のエントリーでは、最下段あたりにチョイ、ロマンチックな写真があるので見て欲しい。

さて今回は宮崎県の延岡市。
なかでも神武天皇が、大水軍を編成され、東征の船出をされた日本軍発祥の地「美々津」の高千穂海峡が海に延びる岡という意図を絡めている呼称であるいう延岡であります。

九州三十六不動霊場第十一番札所万寿山光明寺は、井上城の鬼門除けに建立され養和元年(1181)土持相模守が開基し、宇佐より智賢上人を招請して開山したと伝えられ、本尊は恵心僧都の作といわれる阿弥陀三尊を安置している。

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長久寺 (九州36不動霊場めぐり 12番札所 )

「宮崎といえば新婚旅行」を連想するのはボクやボクよりも少しお歳が上の人、若い人ならばむしろミヤザキは、東国原英夫知事が顔となり、新しくクリーン〜おもてなし日本一の宮崎といったイメージへと変化してきているのでしょうね。
ボク自身もこの南国の国は、訪れる度に楽しみが倍増する場所。

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2007年03月12日

潮満寺(九州36不動霊場めぐり 13番札所 )

碧い海。逆白波の寄せる浜。そして果てしなく続く海が霞のなかでも広いことが判る。
風光明媚な日南海岸こそ天下の絶景であろう。

九州三十六不動霊場巡りは宮崎県で二カ寺目となった潮満寺はこの美しい海岸の見える唯一のお寺でもある。
寺院の住所「油津」という地名の由来は、油を流したように波静かな港とも、又は、鵜戸山吾平の津とのいわれもある。


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極楽寺 (九州36不動霊場めぐり 14番札所)

本日より宮崎県、それも南部の大隅半島の中ほどに大きくえぐられたように存在している志布志湾。
この湾にそそぐ福島川の上流部分にひらけている串間市だ。
串間市は、王朝時代にあった「櫛間院」(周囲を垣で囲まれた建物)を復活した地名で、櫛間が転じて串間となったらしい。
その中でも、特に北方では穏やかな農村地帯が開けていて、その水田などが拡がっている一隅の森に極楽寺があった。

日向ぼっこをしているチョロにお出迎えいただいてから、本堂に入らせていただくとご住職に歓待いただいた。

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2007年02月27日

高野寺 (九州36不動霊場めぐり 18番札所 )

九州の博多相談室に朱印軸を額装して祀らせていただこうとの思いつきで始めた九州三十六不動霊場めぐりも、残る札所は8カ寺となった。

博多相談室に朱印軸を祀らせていただく事。
相談室にお越しになる方々はよりよい生活を望んでこられるわけで、陰ながらも更に幸せな生活を送っていただける祈りのため、また、今回の巡礼ではこの世に生を受けた恩を感じつつも、小生が母親の出生地からも九州へのご縁を感じ、ご先祖様への供養という意味もある。

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木原不動尊 長寿寺 (九州36不動霊場めぐり 19番札所 )

不知火海に突き出るように位置している宇土半島。
その根占に位置している富合町木原山は、別名を雁回山とも呼ばれている。
伝説に、鎮西八郎為朝が山頂に居城を築き、豪弓をもってあたりを威嚇していたので、空に舞う雁もこの弓を畏れて迂回したことに由来しているとの事だ。

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大慈禅寺 (九州36不動霊場めぐり 20番札所)

九州のほぼ中央にある世界的にも有名な活火山と言えば阿蘇山だ。
最高峰の高岳のほか、中岳、烏帽子岳、杵島岳、根子岳を総称して阿蘇五岳と呼び、南北24km、周囲128kmの巨大カルデラの外輪を形成している。
火ノ国と称えられる熊本県は、この阿蘇山を東に城山など繁華街を中心に繁栄してきている。

創建は弘安元年(1278)。当時の地頭であった河尻左右衛門佐泰明が寒厳禅師に帰依して建てたとされる。
解脱門はこの寺の象徴とも言えよう、くぐると左右に六地蔵がみえる。
六道能化のこの菩薩は、儀軌において香炉、法珠、合掌、しるしばた、錫杖、数珠をもっている。
その先には、山頭火の句碑が建ち、大正五年に熊本に訪れた際の句が刻まれていた。


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蓮華院誕生寺 (九州36不動霊場めぐり 21番札所 )

熊本市に隣接している玉名市の霊峰小岱山(しょうだいさん)に世界一の梵鐘がある蓮華院誕生寺奥之院があります。
この大梵鐘は重量が37,5トン、京都から国道を通ってきたのですが、小岱山にある奥之院への狭い山道は、本当に急な坂道で曲がりくねった道で、小生が使用する1000ccのレンタカーはローギアのままでしたから、はたしてこの梵鐘はどうやって上がったのか不思議で仕方ない。

梵音には抜苦与楽・離業得脱(苦を抜き、楽を与える・業を離れ、解脱を得せしむる)の願いが込められているというが、梵鐘の存在がそう語りかけるからしばし前にいてたたずんでいた。

すると鐘を突かせていただけるという。

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2007年02月24日

龍照寺 (九州36不動霊場めぐり 22番札所 )

島原駅のすぐ近くに五層の天守閣を有する堂々と聳え立つ島原城。
元和二年(1616)大和から転封された松倉重政が7年の歳月をかけて築いたもので森岳城とも呼ばれている。
以前の領主有馬氏はキリシタン大名であったが、松倉氏はこれに対し他に類を見ないキリシタン弾圧と苛政、酷税を領民に課したため、この城はキリシタン弾圧のシンボルとして領民から憎まれ、遠くローマまでその名が知られたという。

松倉勝家の時、島原南端口ノ津で発生した一揆はたちまち島原全島と天草に広がり、一揆軍は盟主に天草四郎を仰ぎ原城に立て籠もった。原城は松倉氏が島原城を築いた際、廃城とした城であるが、三方を海に囲まれた要害堅固の地にあるため一揆軍3万7千はよく戦い三ヶ月にわたり籠城し糧食つきた後、寛永十五年(1638)幕府軍の総攻撃に全員が戦死したと伝えられる。石垣だけが残る城址は史跡に指定され、十字架と天草四郎像が建っていた。

その海の玄関口である島原外港から雲仙道路を登ると、龍照寺がある。
東に向けて開けた境内は陽光を浴び、大きなお不動様にお出迎えいただける。
龍照寺にお詣りして、その規模の雄大さ、整備されている環境に驚いた。

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正覚寺 (九州36不動霊場めぐり 23番札所 )

不知足の者は富めりと雖も而も貧し、知足の人は貧しと雖も而も富めり

山門入口にある掲示板に掲示されていたから、ここが禅宗のお寺、それも曹洞宗の寺院であることを思い出した。

橘湾を臨む東長崎の発展は、矢上町を中心としていたのだろうと思う。
古くは長崎街道の宿場町として栄えたところで、路傍のたたずまいに往古を偲ぶことが出来る。
一帯は山に囲まれた市街とは異なり、平野部が諫早に向けて広がり、八郎川や現川の流れが港にそそいでいる。
寺域は東長崎支所の裏側にあってり、番所橋から旧道を入った小学校の奥にある。
創建は享保二十年(1735)、諫早藩の藩士である藤井氏の菩提寺として開基し、禅刹天祐寺の僧大亀圓晟大和尚が開山。

こうした関係から諫早藩の士が帰依し、のち壇野氏が寺領を寄進するに及んで寺門は殷盛した。

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2007年02月22日

両子寺 (九州36不動霊場めぐり 1番札所)

大分県の北東に位置している国東半島、その中央に両子山が聳えており、この山を囲むようにして多くの山と多くの寺院が存在している。

その両子山にある、両子寺は九州三十六不動霊場めぐり一番札所である。

古くは宇佐八幡の信仰をもとに開け、仏教の渡来と共に神と仏は同体であると言う垂迹思想をとりいれ、天台宗における六郷満山が形成されていった。
今までにも何度か触れてきたが、六郷満山の開基は、仁聞菩薩に結縁していて、八幡大神の化身というのがこの辺りに伝わっている有力な説である。

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神宮寺 大嶽不動 (九州36不動霊場めぐり 2番札所)

九州三十六不動霊場二番札所 神宮寺に向かう国道からも周防灘が美しかった。
国東半島の中にある霊場ものこり二カ寺となってきたのだが、この蒼い海がいつも煌びやかに輝いていてくれたのは幸いした。
田深の集落から両子山に入る隘路を登ってゆくと、大嶽山の麓に向けて神宮寺道がのびている。

ただこの道で良いのかと何度も確認したくなった程で、この、苔むす石段をみても如何に山奥に鎮まっているのかが理解できる。正に日と影である。

神宮寺の山号となっている大嶽の峯は標高560mで、両子山の東側にそびえていてその山ふところに抱かれています。
寺名は、いわゆる宮寺の意味で、神仏習合を最もよく表しています。
六郷満山では本山本寺八カ寺の一つに鞍懸山神宮寺がありましたが現在は廃寺、本山本寺十カ寺の大嶽山神宮寺のみが今もその名を留めているのです。

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2007年02月21日

成仏寺 (九州36不動霊場めぐり 3番札所 )

六郷満山末山本寺十カ寺の一つである成仏寺は、短い参道階段に二対の仁王像が安置されている。
登り口に立つ仁王像は、鬼会の際に台石から倒れ、現在は膝以下を台石にコンクリートで止められている。
阿形像は、左手に持つ金剛杵を肩に構え、右手は拳にして腰に当て、吽形像は、右手を肩に当て掌を前に開き、左手は拳にして腰に当てている。いずれも額に数本のシワが表現されている天保二年(1831)の作である。

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文殊仙寺 (九州36不動霊場めぐり 4番札所 )

周防灘に面した国東の海岸は、蒼く光っていた。
途中の富来浦から富来町を通ると、宝くじに当たる富来神社があったけど、通り過ぎて山々の峰に車を進める。
窓を開けて走っていると、野鳥の声がしきりに聴かれはじめてきた。
このころは陽の光があったのに、20分ほど走るとライトを点けようかと思うほど仄暗くなってきた。
まだ昼を過ぎたところなのにと思って上を見れば、天にも届きそうな鬱蒼とした樹林が太陽の光を妨げていた。
なるほど。そう思ってライトを点けた。

それから暫くすると、周囲が明るくなった。
門前にある駐車場は大きなスペースについたから、頭上は、鬱蒼と覆う木々ではなく太陽の光になったのだ。

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実相院 (九州36不動霊場めぐり 5番札所 )

修験道における峰入りは欠かせない行事である。
寺を出て山野を踏破し、心身を鍛える行は、煩悩を去り、衣食住の欲を去り、清浄に仏道を修業する「頭陀の行」を実践するもので、六郷山では仁聞菩薩修業の跡を巡り、最後は熊野石仏の前で護摩を焚いて終わるものである。

国東半島の北西に位置している香々地町は、山間を流れる竹田川に沿って拓けている町で、上流にはハジカミ山、黒木山、尻付山に囲まれている山里であり、この辺り一帯は夷谷と呼ばれ、集塊岩が風蝕されて独特な奇岩が素晴らしく、夷耶馬渓は国立公園に指定されている。

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2007年02月20日

無動寺 (九州36不動霊場めぐり 6番札所 )

山岳密教の地、国東半島。
その北の玄関口とも言える真玉町は、小さな谷に赤坂川・真玉川・臼野川が流れている。
九州三十六不動霊場めぐり第6番札所の無動寺は、主流の真玉川上流の黒土村にあって、写真のように、高さ150mの大絶壁を背にして鎮まっている。
開基は奈良時代、養老二年(718)、仁聞菩薩に起因、六郷満山の中山本寺として最盛期には末寺十二坊を構え、約百名の僧侶が修行に励んだ満山中でも屈指の道場であったと住職は言われます。

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2007年02月19日

大岩屋山 応暦寺 (九州36不動霊場めぐり 7番札所 )

ご存じの通り、宇佐神宮は宇佐八幡ともいい、全国四万余りの八幡宮の総本山。
伊勢神宮に次ぐ宗廟として、古く奈良時代から朝廷の崇敬を受けた名社で、天皇即位や国難のおり奉幣のため、はるばる宇佐使が朝廷より遣わされたとされる神威の高い神社であります。
その宇佐神宮から、国道213号線を国東半島へとすすみますと、九州三十六不動霊場巡礼は国東半島に入ります。
しかし国東あたりの磐山というのは、水墨画のそれに似ているか、いやむしろそれよりも美しくて、この山容というのは惚れ惚れとするものがあります。
山号「大岩屋山」にもなるほどと肯けるところだ。
しかし、これは眺めの話であって、六郷満山の峯入り行場としては一気に嶮岨、その厳しさを感じる山に変化するのです。

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2007年02月18日

桔梗山 三明院 (九州36不動霊場めぐり 8番札所 )

恩讐の彼方に 大分県の最北端に位置する中津市は、中津城下町の侘いを色濃く残した歴史の里であり、また、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」でも紹介される青ノ洞門、開基以来600年の古刹羅漢寺など、中津市の南部、英彦山に源を発する山国川と、その支流一帯からなる大峡谷は東西36km、南北32kmもの一大景勝地であり、悠久の流れをうつす水郷の里ともいえる癒しの地ともいえます。

また、福沢諭吉が一万円札の顔となってからは諭吉の里としても脚光を浴びており、3歳から21歳まで起居した藁葺きの母屋や諭吉が勉学に使った荒壁の土蔵、そして福沢記念館があります。館内に展示してある「学問のススメ」の原本を始め遺品、遺墨、著書が展示されている。
学問のすすめ 三明院のある、永添は市街から南部の農耕地帯にあり、文政元年(1818)には、頼山陽もこの地を訪れている。
戦後の軽薄な世相を憂い、道徳学を提唱した広池博士が育ったところでもあり、いわば、多くの碩学者を輩出した由緒ある土地ともいえよう。

そしてこの土地に開基されているのが、三明院です。

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2007年02月17日

総社山 円寿寺 (九州36不動霊場めぐり 9番札所 )

最近特に思いますのは、世界の人口に、動物などの生命を加えたなら、もうそれは65億の人に加えて何百億、何千億となるのでしょう、そして1人から発射される精子というのも何十億とあるわけです。そしてその精子が卵子と結ばれて成長して今ここにある私。これは誠に不思議な有り難いことです。

大分川の右岸に拓けている市街地から南へ。
高台に向かってすすむと九州三十六不動霊場霊場めぐり第九番札所は、総社山 円寿寺さん。願かけ不動として有名な寺院です。
古くは大友氏の居城があった西山城址に隣接している境内に六坊が甍(いらか)を並べていたとの事で、付近には、元町石仏・岩屋寺石仏・臼杵石石仏など見応えのある石仏群が並ぶ歴史の地です。

現在のところ本堂は修復中でありましたが、ご住職のご配慮により御本尊の所までご案内いただきました。こちらは九州三十六不動霊場会の事務局でもありますから、ご住職にはまた様々なお話しを頂戴いたいておりまして、それではお詣りをと1人にさせていただいた際、身を清め御本尊のすぐ近くまで近寄らせていただいたのです。

不思議はその時に現れました。小生の自宅道場と同じ波切り不動尊のお姿なのですが、前に座らせていただいて暫くすると、小生の周りに、みなぎってくるような霊威があるのです。
先ほども記したように、本堂は改修中で、御堂は御本尊の不動明王のみがおられるのだけど、この場のすべてが大盤石であり、こちらのお不動様の光背には火炎があり、盤石の前には水波がただよっていて、じっと前に座らせていただくだけで、不動尊の慈悲に満たされてきたのです。
このような表現すると誤解されそうで嫌なんだけど、さらに続けるなら、不動だけど動の働きを持たれているのです。まさにお不動さんには不動と動、実在と現象の二極があって、この場を慈悲の働きが包んでいる事を実感させていただいたのです。

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2007年02月16日

金龍山 臨済寺 (九州36不動霊場めぐり 10番札所 )

今日から大分県。九州三十六不動霊場を逆打ちでと発願したのであるが、先日から結願地が鹿児島になっている夢を三日間連続してみたのだから、何らか訳があるのだろう。そう思って最終札所を鹿児島とした。
とはいっても、順には打たない。逆は逆打ちで今回からの大分県も逆に10番札所から巡る。

そう決めて始めた途端に北朝鮮行きの話をいただいた。

バテレンと宗麟の時代豊ノ国と称した大分市の変遷は、建久七年(1196)守護職に任命された大友能直が入国し、後裔四百年にわたる政権のもとに発展しています。
キリシタン大名としても知られている二十一代大友宗麟は、当時キリスト教や西洋文化を積極的に取り入れるなど南蛮貿易を盛んにして、現在の大分市である府内及び臼杵港には中国船やポルトガル船が入り国際都市として繁栄してきました。
後には、天下布武の政争に敗れて大友支配は終焉しますが、藩政下では府内城を中心に産業の隆盛を図り、明治維新ののちからは近代化へと大きな脱皮をしているのです。この辺りの背景はバテレンと宗麟の時代に詳しい。

 本日の巡礼地、九州三十六不動霊場第十番札所 臨済寺は、大分市南部の大道隧道を過ぎた永興山にあります。
もとは、大分川の左岸にある尼ヶ瀬村というところにあり、修験寺で天台宗法系の聖護院末大法院と称していたが、明治5年より比叡山延暦寺に属しています。明治24年には、秦 秀教上人の代に現在の地に御堂を移し金龍山臨済寺と改称。明治39年に不慮の火災に遭うも、加持祈祷の旺盛な信心によって再興し、嗣いで順応大僧正の努力によっても寺格は次第に整えられ、現在の順照和尚の代には「厄除け不動霊場」としての信仰を集めております。

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2007年02月10日

大本山 誕生院 (九州36不動霊場めぐり 24番札所 )

有明海から国道444号線を鹿島市内へむけて走ると札所が見えてくる。
車を止めて境内を歩き始めると、併設されている、誕生院保育園の園庭の方から一所懸命さが伝わってきました。ハーイ!という元気なお返事が聞こえてきたためです。

霊場を巡っていると、このような周囲からの影響力に触れられる機会があって、これも小生の霊場巡りの楽しみとしているところなのですが、これと似たような経験で、「漸く(ようやく)やっと」とおもえる瞬間もあります。

随分前の記憶。これが偶然に通りかかった場所で蘇ってくるのはデジャブにも似ていて、様々な瞬間に訪れるからこれも楽しいのだが、時折、アレ?どっちの世界かなあ、なあんて思う事もある。
それは今回のように境内に入った瞬間であったり、様々なんだけど、何か土地が持っている性格とか性質みたいなものがあって、それが園庭の一所懸命な園児たちを育てているのかと思った。

それもそのはず、この御寺院は、言宗の中興の祖である興教大師 覚鑁聖人の生誕の地に建てられた寺院。
聖人様の誕生された場所なのだから、素晴らしい園児も育つに違いない、そういった意味からも小生、なおも漸く故郷に帰らせていただいたかの様に思えてきたのです。

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2007年02月07日

大慈禅寺 九州36不動霊場めぐり 20番札所

九州三十六不動霊場めぐり第二十番札所の大慈禅寺は、九州の曹洞宗本山として、古くから人々の信仰を集めている禅寺です。
創建は弘安元年(1278年)で、曹洞宗の開祖である道元の高弟寒厳(かんがん)禅師によって開山されました。

寒厳(かんがん)義伊文書の四幅や梵鐘(ぼんしょう)といった、数々の貴重な寺宝が保管されており、これらは、国の重要文化財に指定されています。その他、掛け軸や仏像、石造物なども保管されています。

お不動さんは、以前は境内の水掛不動尊だったようですが、現在は本堂内におられます。
本堂の中央には本尊釈迦牟尼佛、両脇侍に迦葉、阿難両尊者を安置されていました。

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2007年02月05日

杉岳山不動尊 大聖寺 (九州36不動霊場めぐり 25番札所 )

佐賀県の武雄市周辺を通過して行こうかと思ったけれど、このあたりには巨木が多いのを思い出した。
「武雄の大楠」は武雄神社にあるご神木で全国第7位の巨木。「塚崎の大楠」は、樹齢三千年ともいわれている。「川古の大楠」は全国第5位を誇り「黒尾の大銀杏」も樹齢300年と言われていて、季節が秋であればなあ、などと山あいの道をひた走る。
女山峠から徳連岳に入り始めた頃、「道は二つあって一つは険しい」と九州三十六不動尊霊場 第26番札所 無動院のご住職に言われていたのを思い出す。
排気量不足を感じた事がなかったトヨタ ヴィッツが上がらないほどの急勾配だったからで、これはどうやら険しい方だと判り始めてきた。

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2007年02月04日

無動院 (九州36不動霊場めぐり 26番札所)

お釈迦様が入滅されてから、次の仏である弥勒菩薩がこの世に現れるまでの五十六億七千万年間は、いうなれば仏不在の空白期間。

そこで弥勒下生までの間、六道(地獄〜餓鬼〜畜生〜修羅〜人間〜天をめぐって人々の救済にあたり、人々の願いを残らずに聞き届けるまでは菩薩界には戻らないと誓って、いまも頭を丸めたお坊さまのお姿で六道遍路の旅を続けておられるのが地蔵菩薩です。

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2007年02月02日

正福寺 (九州36不動霊場めぐり 27番札所)

幸福と不幸は一対、表裏一体、裏腹であります。
「楽あれば苦あり」「苦あれば楽あり」、「禍福はあざなえる縄のごとし」「人間万事塞翁が馬」と、小生の場合、何となくだけど不幸と感じたり、幸せと感じたりすることと言うものが、交互にやってくるように感じることが多くあります。

最近の小生の場合ですと、正月に悪いことがあれば、今年一年がずつと悪いんじゃないかと思いこんだり、逆にオミクジで大吉なんて引き当てると、もうそれだけで幸せを分けてあげたい位の心持ちになるのです。

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2007年01月31日

千如寺 宝池坊 (九州36不動霊場めぐり 28番札所 )

この道。随分とに尾行して通った事があるなあ等と思い出し、何の件だったかと記憶を辿るが思い出せない。

小生は、この九州三十六不動尊めぐりを逆打ちしておりますから、佐賀市から福岡市早良区に向けて国道263号線を北上する。そうすれば三瀬峠を越えてゆくことになる。

機会があれば、是非行かれてみると良いと思うのは、良い気が満ちていて、幽遠さというか何とも軽快な気分になれるから。
そば街道と言われるほど蕎麦専門店が建ち並んでるから、食事するにも楽しみが増えましょう。

さて良い気の流れる道は続いて、更なる幽遠な山道を進んで30分ほど。
いよいよ、その気の根源たる「雷山 千如寺」に到着いたします。

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2007年01月30日

真光院 きぼた不動 (九州36不動霊場めぐり 29番札所 )

霊場巡拝の中で、ひとつの楽しみとも言えるのは法話。
ご住職にお出会いをさせていただけて、更に仏教の教えなどをお話しをいただける事にあります。

この機会は小生にとって、また、巡礼にお連れする方には迷いや悩みをお持ちになっている事が多く、本当にこの法話を頂いた事によって、もう気づかれるというかスッキリとされる事もあって、こうなったときには小生も嬉しくて飛び上がったりする。

さて九州三十六不動霊場は、小生一人でまわっているのですけれど、こちらの御寺院にて霊場についてのお話しを頂きましたので、小生の夢というか一つの目的をお話ししてみました。
今回はこのあたりを記してみます。


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2007年01月24日

延命院 (九州36不動霊場めぐり 30番札所)

九州三十六不動尊めぐりを逆打ちでと発願して早二月目。三十番台はこちらの御寺院までで、次からは二十番台なのですが、ここですごいなと思うのは、すべてお留守でなかった事なのです。

近畿三十六不動尊巡礼の場合でも、お留守である可能性があるから電話をしてから行った方が良いと思われる不動院や、葛川息障明王院があるのだけど、今回の九州ではすべておられるので本当に有り難い。

ただ、以前のエントリーで記しましたように小生は、お軸への御朱印のお願いしております為に、山号や御寺院を墨と筆をもってご記入いただく事になるのです。
そのため、お留守でなくともこれの出来る事が出来ない方がおられない場合もある。

奥様にお出迎えを頂いて、御朱印軸をお出しすると、「住職が外出していて私には書けない」と仰る。
小生にすれば、はるばる佐賀の地まできてどうしよう、と思ったり、踏ん切りよくじゃあまた改めますと帰れるような距離でもありません。

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2007年01月23日

金乗院 (九州36不動霊場めぐり 31番札所 )

人数にして三十人くらい、そのいずれの方も熱心だ。
小生が金乗院さんのお堂に入る頃、すでに多くの信者さんが着座されていた。それぞれ護摩木に願い事を記したり、三礼をしたりと、皆さん住職の入場を待っておられるのだけど、寸暇を惜しんでその時を待っているのです。

小生は巡礼の身。ここに入らせていただいたのは偶然だけど、この熱気の中で同じように住職をお待ちする事にした。

そして、あの手紙のことを思い出した。
二ヶ月前から微妙に困ってる手紙で、どうして舞い込んだのか、そもそもどなたに聞かれたのか、本当に判らない事だらけ。今回はそんな手紙の話です。

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2007年01月22日

清岩寺 (九州36不動霊場めぐり 32番札所 )

九州三十六不動霊場めぐりは、九州地方の大分県、宮崎県、鹿児島県、熊本県、長崎県、佐賀県、福岡県に開設された霊場めぐりです。宗派にとらわれずに霊場寺院が選定され、昭和五十九年十一月(1984年)に発足されました。

清岩禅寺の不動堂は、発足を機会に般若心経の写経により宗派を越えて建立を発願されたものです。
施工は、法相宗 総本山 薬師寺の西塔を施工された日本随一の名工として名高い、西岡常一大棟梁の指導のもとで建立されたものです。

本堂に向かって石段を登ってゆくと左手にその不動堂があります。
石像の不動明王像と二童子像がおられる不動堂は、前に立った途端に何とも温かいお顔でお出迎えいただくことが出来ます。

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2007年01月19日

不動院 (九州36不動霊場めぐり 33番札所 )

 坂村真民先生のこの詩をご存じの人も多いだろう。
 「念ずれば花ひらく」。
 苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを わたしもいつのころからか となえるようになった そうしてそのたび わたしの花がふしぎと ひとつひとつ ひらいていった

 自筆の色紙を頂いてから、自宅にずっと飾らさせていただいている。小生と同じ方も多いのではないかと思う。

 先生との出会いは、先輩の蔦谷重直氏からのご縁。
 予定していた山下氏が所用で来れなくなり、その欠員補充的な扱いでお連れいただいた。動物病院の岡田先生もおられた。
 その時に朴の会の片山さんとのお名刺を交わさせて頂いていたのを思い出す。

 それから到知出版社の藤尾社長からタンポポ堂へのご縁を頂いた。そしてあれからも随分と時間ばかりが経っている。

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