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稲荷山参道の瓢亭さん

お正月の三が日で約二百七十万人もの人々が訪れた伏見稲荷大社。

先日の大山祭、二月には入れは五日の初午大祭など一、二月をピークに年間一千万人もの参拝者が訪れるそうだ。
十五日の今日も多くの人で参道はにぎやか、屋台もズラリと立ち並んでおりました。

ここの魅力というのは、今日のような良い天気なら、山の緑と鳥居の朱の色が織りなす色合いだろうか、今までにも季節の変化がある写真を掲出したが、その時節によっては風の香りにも変化があって経験したことがない感覚に出会うこともあり、参道沿いに立ち並ぶ自然木の間から差し込む太陽の光など、正に感動して立ち止まってしまうような事が多い。

そして、「お山」をする楽しみには挨拶がある。
参道ですれ違う人と、ご挨拶させて頂くのだけど、そのご挨拶に自分が現れるから楽しいのだ。

いつだったか、参道での挨拶に意識し始めたころがあった。
すれ違う人に挨拶されたときだけ、返すようにしていたのが、自分から挨拶をしようと思ったからで、先にこちらから挨拶をするようになったのです。
ところが、挨拶をしても返事を返してくれない、だからそんな時は、相手に何だよ、なんで挨拶返さないんだ、なんてムカッとしてみたり、そんな事もあった。

それからは、すれ違う前に相手が挨拶を返してくれそうか、どうかと、すれ違う前から雰囲気を探って挨拶する相手をこちらから選んでみたりした。

ところが、挨拶しないだろうと思って、しない時に限って、向こうから挨拶されたり。
そして、これが日常の自分が現れてるんだと感じた頃から、声をかけやすいようにしてみた。
声をかけやすいようにして、相手の様子を見ずに挨拶すると、気持ちよく返事が返ってくるようになったのだ。

声をかけやすいのは、単に気持ちよくしている自分。
そいつが、挨拶するから、挨拶を返す方も気持ちよくなってきて挨拶をするってわけです。

今でもすべての人と挨拶を交わせるわけではないけれど、自ら気持ち良くしておくこと、そう不思議となれるのが「お山」でもあって、なかなかと気づかないのだけど、自分というのが途方もないエネルギーの持ち主であること、何でも望めば創り出せること、思った通りの存在になれること、これらを歩くことによって刺激され元気になれるのも、この「お山」である。

さて随分前だけど、お店にいる女将さんの方から「おはようございます」とお声かけいただいたことがあった。
どうしてだか、まだ聞いたことがないけど、あとになって思い当たる節はあったから翌月に店に入った。
それからのお気に入りです。

こちらの女将さんは、宣伝される事をよろしく思わないから、随分遠慮して記すのだけど、ここのダシは本物です
だから、ここで食事をするのです。これ明快な理由。

参道には他にも多く店がある。でも、ちゃんと出汁を取ってるのはここだけだと思う。
だから、最後の一滴までお汁をいただけるお勧めのお店。

見てくださいよ、このキツネうどん。

場所は本殿からなら四つ辻の手前。間違ってもこれを見てきたなどとは言ってはならない、小生が女将さんに叱られる。






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