京都での生活と彩りについて
彩りという言葉には全てを表現する根本を感じ、ここ京都では春夏秋冬すべての季節に彩りという言葉が相乗作用をもたらしている。
その京都で、もし小生が日本男性の平均寿命まで生きることが出来ると仮定すると、もう半分を上回っている。
そこで今さらこの『彩り』等というものに興味を持ってよろしいか否か。
これが第一の問題です。
といっても第二は今のところ無いので、「今さら彩りに」という点だけ少し考えてみたい。
そもそも小生のお仕事に「彩り」という種のものは、不向きとされる事となっております。
やはり地味にしていなければ、尾行や張り込みなど出来ませんから、彩りの豊かと言うよりも、彩りが全く無い状態の方がよろしいのです。
よってそれらに携わっていたときからのクセであり思いこみであるのでしょう、選ぶ服は靴下から黒、ブルゾンやパンツの色も大抵は地味な紺かグレーか黒。
ですから、仕事から離れた個人的な生活のシーンにも取り入れようと試みたり、また思いつくことすらなかったように思えるのです。
しかしこの生活スタイルはある時期から変化するようになりました。
これは小生が探偵調査の現場に出なくなったころ、京都への来客も多くなりはじめた頃でもあります。
ご依頼主本位への追求を止まない小生の会社に、新たな相談コーナーを設けようと1993年頃から計画が始まったわけですけれど、時を同じくして、今のような主に人とお会いするお仕事が増え始めたのです。
さらに、会社の中小零細の社長さんから直接お受けするご相談が増えたこと。
この様に自分らしい仕事につき始めた頃から、この仕事が好きになり楽しくなってきたのです。
ところが、たとえば食事と申しましても、今までがコンビニやほかほか亭で間に合わせていたわけで、来客の方をお連れできるお店などありません。まして「一見さんお断りの多い京都」です。
正直、全く判りませんでしたので人に聞くことの連続、京都にお越しになった方をお連れできる店の開拓をしておりました。
しかし、始めての京都なのに失礼なことを言うお寿司屋さんや割烹店。
正規の値段よりも随分高く請求されたことも、また、敷居の高いものの言い方をされたお店もありました。
されどここは京都と諦めながらも、ご紹介を頂いたりする連続は今でも続いている次第です。
このような事で、このカテゴリ「京都での生活と彩り」については、小生の行く狭い範囲ですけれど、小生の年齢45歳くらいが好きそうな寿司とか蕎麦、偏向しているかもしれませんが一応小生はたのしくなる場所などを記してみようと考えております。
小生の年齢は45歳と申しましてもとらえかたは様々であります。
いかに生活に彩りをもたせるのか、ここのところが特に試行錯誤ですけれどポイントにしてゆきたいものだ。
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