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おいしい食べ物

このカテゴリ「おいしい食べ物」では、小生の感じた「京都のおいしいもの」について記そうと考えています
京都の街にある食べ物は、小生、なぜこんなにも面白く、興味深いのだろうと思います。
小生は最近つくづくそう思うのです。

食べ物を面白がってはバチが当たりそうですが、ここでは日々変化しているからこそ面白いという意味。

実は、小生のもつ幼少の頃や青年時代の記憶の中には美味しいと思った私の記憶はいちじるしく希薄。
少し幼少の思い出話となりますが…、
いや、これはむしろ無いと言ってもよくって、もちろん、日常的に食べていたようなものへの思い出は残りにくい事は判るけど、育った家は共稼ぎ、その上に父母とも多忙でまことにお目出度い様なことが無いと外食などに出なかので、小さな頃に行ったお店など誇示できるようなお店、自慢できるようなお店の思い出などもない。

あえて記すなら、嵐山は渡月橋北詰の「京嵐山」のざる蕎麦。こいつは家族で岩田山に猿を見に行った帰りに家族揃って食べたもの。ダシが旨かったので今も思い出すと唾がわく。
そして、今はないけれどホテル東山閣の地下レストラン。
生まれて初めてのコース料理を味わったわけで、スプーン・フォーク・ナイフは家で練習してから行ったわけで余裕を持って味わった。緊張していたのだけどここで飲んだコーンポタージュは旨かった。
まあこの程度です。

それは、バイクや車の免許を取るような年齢になってもそう変わらず、たとえば興信所の調査員をしていたころから、グルメのそれとは違う方向をひた走ることになってゆきます。
先輩の調査員から「緊張を緩和させるための酒」を覚えさせられた為です。

長時間の張り込みや尾行をしていると、その緊張感から次の調査現場までのインターバルに旨く休息や睡眠がとれない。だから酒。眠るための睡眠薬。
話がそれたついでに大阪の話しをすると天神橋筋商店街なら4丁目あたりや、梅田なら東通り商店街。または阿倍野筋、谷町通り界隈など主に、起立して飲むような場所、つまり立ち飲みで30分くらい一気に呑んでは睡眠をとる、そして現場に行くと行った繰り返しであり、車の中で眠ることなど当たり前、「味」なんて全く関係のないところでした。

そんな小生に、世の中にはこんな美味しいものがあるのかと、感動を与えてくれたのは、近畿女性探偵社の金子正博氏。
今はありませんが、氏は「近畿女性探偵社」のオーナーでした。
そもそも、金子氏は小生の師。
盗聴器や盗撮カメラ、車用の発信器など探偵用の調査機器に関しては、全てこの人から学んだ恩師です。

この方がまたまた豪快な人。
はじめてお連れいただいた食事で味合わせて頂いたメニューというのがまたすごい。

「ステーキ」を1キログラム、ハンバーグを2枚、スパゲッティー1人前、それにブランデーのレミーマルタンを1本。それにクレソンのみが山盛りの大盛サラダ。

これも今はありませんけれど、前の読売テレビの向かい側にあったビストロ、レアとミディアムに分けてシェフに焼かせて肉の味わいを教えてくれるわけです。

この日は午後7時頃からこのお店に入ったのですが、午後11時にはこのお店を出ているのですから、どんなに豪快な食べ方と飲み方をしたのか想像できるでしょうか。
ちなみに、これらは一人分のサイズ、干支で言うところの一回り上である金子氏は当時31歳の時、同じ分量を食べておられ、格好いいなあと感じたことを思い出します。

それからも、数回にわけフォアグラやトリュフといった高級食材と高級店と高級ブランデーという三点セットなどを覚えさせていただいた氏にはいまだに感謝している。

長くなりました。次回につづきます。


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コメント

59歳になった金子です、この様な場所で僕が生きていたとは?思いも寄りませんでした、49歳で死に生き方の方向転換をして新しい人生を歩んでいます、そして人生で一番仕合わせな時間を過ごしています、分相応に慎ましく、身に必要なモノは得て、身に余るモノは身につけない・・・生き方をしています、しかしながら、なぜか?またオンリーワンに成りつつあります、私は困った者です

社長!ご無沙汰です。
コメント有り難うございます。きっとこの瞬間を待っていたのです。ご記入いただいたウェブを拝見いたしました。メールにて連絡させていただきます。感謝。

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