どんな状況だと心地よいのか。
大船観音に向かう電車の中、隣の人に携帯電話の着信。
けたたましい。
立ち上がり、乗降口に移動、しかし大きな声で話し始める。
「そんなに大きな声で話すことないだろ」でかい声にそう思った。
本当は、大きな声で話すな!!降りてから話せ!!というのが本心。しかし口には出さない。
いまだに心の居所がわからないが、今回も正しく動いた。
大船のまちを見守っている観音様に近づかせていただいた今日、観音さんの縁日18日だったのもご縁。
あまりにも痛そうな表情なので、その痛みを男のボクに例えるとどうなるの?と尋ねてみたのは二十歳の頃。
あなたのキャン玉を蹴り飛ばされた感じじゃないの?…とお答えいただいたのは、生理痛のことです。
いやいやお前さん、ボクのキャン玉の痛みわかるの?…と問い返すまでもなく、それ以来はこの痛みをたとえてもらうのはやめにした。
その痛みを知ってどうするのか?
どうもこうも、痛みを変わるなんてことも出来ない。
親しくなると、相手は「痛い」とおっしゃるのは仲の良い証拠。
だから、なんとかしたい、と思う。
しかも、なぜか美しい人ほど(爽やかで穏やかな表情と、大きな変化があるから)痛そうに見える。
生理なんて一時期のものだから、悠長に構えて流してはならない。
そうすると、きっと彼女の神経を逆なでする。
すれば生理痛はさらにひどくなり、それは即ち彼女のストレスになり他のカラダのどこかに悪影響を及ばせかねない。
だから、まず受容の上に共感すべき、そうも出来ないならその場を去れ。
カラダのどこかに悪影響というのは、ストレスそのものがおよぼす影響です。
まれに筋腫とか内膜症になってしまった人の話をきくが、(どちらが先かは別として)このストレスが原因となっているような気もする。
ここで、今回書いておきたいと思ったのは、先ほど書いた受容と共感と言うところです。
彼女にとっては検査に行くにも様々な不安があって、なかなかと踏ん切りも付かないだろう。
だからこそ彼女には女性の問題として口を閉ざさせるのではなくて(やはり痛みはわからないのだけれど)2人の問題として聴かせて欲しいと思う。
夫婦になる為に、子どもを授かるために。
恋愛の時間が経過すると、これら目的を共有の目的としはじめる。
だけれども、中にはそうでもない人もいて離れてしまう様な人も居る。
男女の性を越えることはできない。
かといって、知らなくても良い事、知ってもどうしようもないこと、それで知ってどうするのか、どうなるのか。
ただ、いまの覚悟を受容して共感し合っていこうとおもう。