カテゴリー別アーカイブ: 全国一の宮巡拝

但馬国 出石神社

突然だったが、但馬での用件を終えてから但馬一の宮「出石神社」を再訪する事にした。


出石神社にバスで向かうなら「鳥居前」が便利。
そこから出石市内の方向を見ると、はるか彼方には城山稲荷や出石城跡のある有子山、手前には稲作でよく手入れされている田が広がっている。
随分と寒いが足取りは軽快。その距離は徒歩で10分程度だけど、歩きながら楽しくなってきた。

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北海道神宮

本日は札幌への出張。着いたとき最近では珍しい大雪になっていたから、冬底の革靴にすれば良かったなどと後悔しつつも、まずは北海道神宮にお詣り。
円山公園駅を降りると既に積雪は膝くらいまであったから、この靴が皮の底でまるでスリックタイヤのごとくツルツル滑って恐ろしい、年間、薄野の街で数十人は転倒してなくなってるのだと聞いたことを思いだしたから、全体重を足の裏にかけ直して参道を歩んでゆく。


「古神道は、真水のようにすっきりとしている」と司馬遼太郎の著書この国のかたち style=にそう書いた。
北海道神宮の歴史はそう古くはないが、この一節を思い出したのは、ここにある自然によるものだ。
神宮の境内には、杉や檜をはじめとしてオンコ・カシワ・ナラ等の針葉樹や広葉樹が混在していて、この雪化粧の中にも緑による澄んだ空気を醸し出されている事による。

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筥崎宮の「敵国降伏」

この楼門は、伏敵門というのだけど、僕にとってはそれだけインパクトがある。
はじめて筥崎宮を訪れたとき、勇ましいなあと思ったのが第一印象。
今日、あらためてお詣りさせていただいたわけだが、やはり一番に「敵国降伏」が目に入った。


まあこの四文字をみて、自分の敵は自分。また、仕事ならば驕りや怠惰緩慢と、いずれも自ら律するような事なのかと思っているわけですが、今日は少しだけしか呑んでない。

今日のお泊まりホテルのBARにゆくのもありだけど、あえて「敵国降伏」をタイトルに書いてみようと思うのです。

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賀茂御祖神社

 この様な真冬の季節もそうだけど、いつこのお社を訪れても自然を感じることが出来る。小生が日本正武館に通っていた頃ですから、少なくとも20年はたつだろう、初めてこの「糺の森」(ただすのもり)を通ったとき、霊気のようなものを感じたのを思い出す。当時、故・鈴木正文館長から「糺す」は自己への「質す」と同じだから、といったお話しを頂いていたからで、この森を通る前には神さまに質されるものだと思い一所懸命自らの身を正していた事を思い出す。

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賀茂別雷神社

山紫水明の地とされる京都。
碁盤の目に整備された街並みの、その東に位置して北から南へ流れる川、これを鴨川と言います。

牛若丸と弁慶の戦いで有名な五条大橋(旧松原橋)、八坂神社の鳥居前で祗園など繁華街にある四条大橋、そして東海道の起終点の三条大橋。
そこから更に上がり(北へ行き)ますと出町柳あたりで二方から流れてきた川が合流します。
向かって右が高野川、左側が賀茂川です。

「鴨川」だったというのに、川をさかのぼってゆくと出町柳あたりから「賀茂川」となるのです。

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全国一の宮御朱印帳名簿

小生は、全国一の宮会で発行されているの御朱印帳を使用します。
御朱印帳の中を見ると、説明のあと1ページ〜106ページまでは神社名、107〜118ページまでの12ページは白紙で自由に使用することが出来る構成です。

今回のエントリーは、この御朱印帳に記されている神社名を記しておくことが目的ですから、小生にとっては巡礼予定地と履歴の表となります。
しかし、御朱印帳の順に神社名が並べられていて、また、それがリストされているものは全国一の宮会のWebサイトにもありませんでしたので、次に記す「御朱印帳の順番に記した神社名は、特に住所と電話番号を書き加えて記してあります。

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このカテゴリ「全国一の宮巡拝」について

このカテゴリで記されるのは、小生の「全国一の宮」への参拝に関しての記録です。

江戸時代前期の神道家・橘 三喜は、延宝3年(1675)から元禄10年(1697)の、23年の歳月を費して全国の「一の宮」をはじめ諸寺社仏閣に参拝したといいます。またこれを「一宮巡詣記」全13巻に記したことから全国にこの「一の宮参り」が広まったとも言われております。その当時では、北海道や沖縄の神社は含まれておりませんでしたが、小生は由緒ある神社として新一宮も参拝させて頂きたく、正に北海道から沖縄まで「全国の旅」となりますが、やはりあくまでも出張のその先30km以内、これは守ろうと思っております。

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