カテゴリー別アーカイブ: 29番 生駒山 寳山寺

諸仏不動智

昨年の11月には別れを、そして12月には縁を感じた前回のエントリーから早、年も明け2007年1月。
本日は年明け初めての生駒山 寳山寺への月参りです。

小生、この三ヶ月でようやっと落ち着いてきたかのようには見えますが、まだお不動への信仰が足らないなあ、などと、実のところもうひとつの元気がありません。
そこで何かお不動さんの書籍はと探しておりますと、久々に沢庵和尚の不動智神妙録が目に留まりました。そしてなにげに開くと「諸仏不動智」のページ。今回はこの件について記してみます。

さて、ここでいう「不動」とは動かないということ、「智」は智慧の智です。
ただ動かないとはいっても、岩や木々のように、全く動かないというのではありません。

心は四方八方、上下右左と自由に動きながら、一つの物、一つの事には決してとらわれないのが、ここでいう不動智というわけです。

ご存じ不動明王は、右手には剣を握り、左手には縄を持ち、歯をむき出し眼は天地を向いて睨みをきかせ怒りまくっています。仏法を妨げようとする悪魔を取り抑えようとされているのですね。

ところが、一つの事にとらわれると、この忿怒相に恐れるだけで、仏法の妨げになるような事だけは決してするだけに留まり、人々を救済しようとするやさしい慈悲に気づくことも触れることも出来ないのです。そして、一般的な生活の中でも何かに心がとらわれていると、様々な臆測や葛藤、疑念、猜疑心が胸の中で、また顔の表情などに表れてくる。そんな時は本当に自分自身嫌気がさしてしまうこともあります。

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生駒山 寶山寺にて「縁」を想う。

縁にも色々あるが偶然というのも縁だろうか。

2006年ラストの月参りで旧友に出会ったのは「偶然」、しかしそれが聖天堂の前、それも雨空のため境内はガラガラ、それも昼下がりとなれば、「縁」とも感じる。彼と僕は久々に出会ったのを驚きあい、特に僕は声をかけられてから10秒くらいポカーンとしていた。それから石段途中の土産物店でコーヒーを飲んで、別々の車で地元に戻ったわけだ。いやしかし本日の月参り、たっぷりと時間がかかったものだ。

朝、寶山寺に向けて出発する時、大雨。だけど「親孝行だから雨に濡れない」僕は当然傘を持たずに出かけた。
京都からはたいてい高速に乗るのだけど、今日は乗らずに枚方から交野へ抜ける。しかしいっこうに雨はやまない。

ところが、お寺の駐車場に停めたとき雨は上がった。
そして、山門をくぐり、不動堂のお不動さんにごあいさつ。聖天堂の内陣で参拝をすませ、般若窟にむかったのです。

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おにうし

京都から、生駒の聖天さんにお参りをする際は車で行くことになる。
京都南インターチェンジから名神高速で吹田まで、近畿道に乗り継いで阪奈トンネルを越えるまで30分もかからない。
しかし、帰り道、つまりお参りを終えてからは立ち寄るところが二カ所有るから下道だ。

二カ所とは、食事の楽しみがひとつ、旨いコーヒーを楽しめる場所がひとつの計二カ所。
そのため帰り道は、下道をひたすら走る。
今回は、そのうちのひとつ、食事の楽しみを記します。

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生駒山 寳山寺(ほうざんじ)の延命水

振り返れば、眼下の石段の向こう側には生駒市内が拡がっている。
生駒ケーブルの宝山駅を降りればあとは石段の登るばかりなり、まだ延々とあるがお目当ての不動明王堂までは、まだまだ遠い。

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