カテゴリー別アーカイブ: 出石おすすめ皿そば

アシある蕎麦の「永楽蕎麦」

ひさしく出石蕎麦について書いていないのは、このブログを停止していたからによる。
しかし、いまは再会したわけだから、直近に行ったお店の事も思い出して書こうと思う。

店の名は、「永楽蕎麦」。
古くから出石の街並みに存在していたのだろう築年数を感じられる。
その玄関には、藍色の暖簾がかかり。手打ちそばと染め抜かれていて、その手打ちブームのさきがけであったかと思わせる。


この店の前側には、屋根付きの喫煙コーナーのような待合所があって、休日ともなれば11時の開店を前には、お客さんの数人は必ずいる人気店だ。

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おいしい出石そば。おすすめの店〜そば庄

お皿を5枚一組で一人前、真っ白な出石焼に盛られる蕎麦は美しいものだ。出石ではほとんど蕎麦粉が採れない。だから出石焼のお皿にお蕎麦を盛って食べていただこう、というのが出石蕎麦である。

さて、その出石そばを食べるために、お客として訪れる小生。はじめて出石そばに求めたものは、「一に蕎麦の味。二に店の雰囲気。三に値段。」であった。しかし今、出石町内の全ての蕎麦店で食べてみると、おいしいと判断した基準は「一に城下町の風情。二に店のわびさび。三に蕎麦と汁のバランス。」に変更した。

取って付けたような風情やわびさびじゃなくって、蕎麦や汁も平均以上でマッチした特色があって、さらに出石城下町風情とわびさびにマッチしている。
これがボクの100点満点のおいしい出石そば。

そしてその100点満点が今回の「そば庄」です。

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手打ちの規格が判ったように思えた〜甚兵衛

蕎麦の話しをしていると、この様に言う人もいる。
「手打ちは時には不揃いであるものの方が、手打ちらしくて良い。蕎麦一本一本の切り幅もまちまちで、麺帯の伸ばし加減もにもムラがある。そんな方が、人間がやることのようで良いではないか。それに、十割そば製麺機や、手打ち式包丁切りそば製麺器とは違って、ひと目で手打ちと分かるので、手打ちを売り物にも出来る…」。
これが不揃いをよしとする人の理屈である。

しかし、この意見は如何なものか。
小生の打つ趣味の蕎麦でさえ、技をひとつ覚える度に、稚拙なレベルを超えることもあるのである。
ましてや商売人のつくる蕎麦においてや……となる。

つまり、同じものをいくつも作り続けても、その時々で仕上がり具合が違ってしまうことなど許されない、規格の揃っていることが求められる。手打ちとか機械製麺とかに関係なく、これがプロの仕事なのだと思う。

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今回も出会えなかった、万人ウケする蕎麦の色〜陣屋

ここ暫くの合いだ、小生の求める蕎麦は採点を持って記してきた。
しかし、これらは総合的な評価、蕎麦粉そのものにも、様々とある。
色が白っぽくて、舌触りや喉越しもツルッとするようなデンプン質の多い粉もあれば、その白さの中に淡い緑の影を感じる蕎麦。
あるいは、深い茶色を帯びてツブツブ感を感じるもの、さらに褪せたレンガ色のようで茶色に近い色合いでブツブツ感も多い蕎麦。

このような中、極上ならば御膳蕎麦のような真っ白と言うことになろうが、一般的な蕎麦とは一体ナンなのか。
実は上に挙げた蕎麦はいずれも、一般的な蕎麦と言えるのではないか。

しかし、中には誤解も六階もある。
例えば、「黒ければ蕎麦らしい」という人が多い。
だが、黒いお蕎麦というのは、外皮やヘタの砕けたものが混入していて、同時に、外皮やヘタに附着した土ぼこりやチリのようなものまでも混入してるわけだ。
これらは、茹でると判りやすくて、なんとも湯気自体がくさいし、ムッとくることもある。
だから、前述の真っ白けの御膳蕎麦を好む人には、黒い蕎麦はボソボソして口当たりや喉越しも悪く感じるに違いない。
ゆえに、黒い蕎麦は万人向きと言えまい。万人向きの蕎麦は、蕎麦店にとっても大きなテーマなのであろうと思う。

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出石に受け継がれていた「元祖」〜南枝

「蕎麦はあきのこない味が大切」まさに出石そばの顔と言える 三百年の伝統を持つ出石の皿そばの元祖の店主たる言葉だ。

南枝は、出石町内のほとんどを焼き尽くした明治九年の大火災で過去帳を消失。
くわしい記録はのこっていないが、ご先祖は信州の蕎麦屋さんという。
宝永三年(1706)、信州上田の城主だった仙石越前守政明が出石城に国替えのとき、いっしょに出石にやってきた。


屋号は、中国の文選に収められている「古詩十九首第九首」の第八句にとった。
 

胡馬依北風
 越鳥果南枝

名付け親は越前守。故郷をこいしのんだ詩で、越前守の望郷の心情がうかがえる。
家臣達も故郷信州の香りがするそばに、さびしさをなぐさめあったのだろう。

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客はナニも発信していなかったのか〜家老

蕎麦屋さんを始めるきっかけというのは、それぞれなんだろうが、ボクの場合(といっても開業する気など毛頭無いが)、やはり日本一を目指したいだろうから、この場合やはりお客さんというのは大切な先生になろうかと思う。

つまりボクのようなお客さんは、大切な先生(笑)。
いや失礼、ここで僕が言いたいのは、お客さんから如何に学ぶかということが、蕎麦の場合もやはり大切だってことです。

お客さんにも、店のファンから、評論家なんてのも居ようかと。
ファンは、近所にここしかないから、と言う理由から蕎麦が美味い、汁がうまい、なにが美味いともうほんとうに足繁く通う、そんなお客さん。
そして評論家。
こんなタイプからは、お店はよく学べるのね。
ボクみたいに、ブログで書くのは少々違うけど、ボクの場合でも話せる機会があれば、「どうしてなんですか?」のように、やわらかに疑問に感じたことを聞いたりする。
(といっても、小生の場合は、蕎麦を打つための技術を請うているわけで、評論とは違うなあ)

まあ、いずれにしても「ウルサイ」小言なんてのくれるのが、本当は善い客なんだと思う。
これを聞けないと、残念な店になる。

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蕎麦は技術よりも蕎麦粉〜古都

これから手打ち蕎麦を始めようとする人や、ボクのように習いたての人は、手打ちの技術、つまり蕎麦を如何に製麺できるかによって、蕎麦の味が決まると思っていないだろうか。

蕎麦を打つ技術が優れていれば、原材料や道具などどうであっても美味い蕎麦が打てる。
ボクはつい最近までそう思っていたのだけど、これは大きな間違いだった。
蕎麦の味を決めるのは、「蕎麦粉」である。

うまい蕎麦は、打ち手の腕前以前に、良いの蕎麦粉が絶対必要条件になっている。
これについては、またの機会に記したいと思うが、ほとんどが蕎麦粉で決まるのが蕎麦の味。
美味い蕎麦は、打ち手の技術云々する以前に、良質の原材料が必要になってくるのだと思う。

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皿蕎麦の味を決めるのはツユ〜出石皿蕎麦会 入佐屋

前回の五万石さんではお琴の調べ、しかし同じ武家屋敷跡の前でも、こちらではジャズが流れる。
以前は、昔からあった映画館を改装したという店構え、併設された美術品の展示場所もそうだけど、古い外見の中にあるモダンさにはギャップを感じて楽しい。


注文は、十割蕎麦をお願いした。
暖簾の横にある「麺打ち場」が綺麗に整頓されて気持ちよかったからだ。
そしてお運びいただいたのは、奥さんだろう女性。なんだか元気があって店全体を盛り上げている感じ、といっても、声がでかいとか、そんな元気さではなくジャズの中、物静かな優しさのあふれるエネルギーを出していて心地よい。

話はそれるが「蕎麦はツユで食べる」とは、良く聞く言葉。
ボクも今まで、蕎麦屋でも品定めをするような場合、「ツユ」への印象をもって評価するような事が多かった。逆に言うと、蕎麦(麺)がいくら良くても、このツユがだめなら全部ダメ。そんな記憶を持つ。

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琴の音と皿蕎麦〜出石皿蕎麦会 五萬石。

琴の音が流れる店内。
この音を聞くと、それだけで落ち着いた雰囲気になるから不思議だ。
席に着くと、この琴の音にあった風格ある女性に注文をきいていただいた。

前にも書きましたが、食べものには、味の特徴や、美味しさの仕組みを、ひと言で言いあらわせるものと、そうでないものがあります。
出石の蕎麦に限らずとも、蕎麦というものは、すべて後者になると思うのです。
蕎麦について、味の特徴や美味しさの仕組みをひと言でなんて言いあらわせないのです。

だから、蕎麦の美味さとは何かと聞かれて、そう簡単に答えられる人はいないと思うのです。

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出石における「出石そば」はやはり観光の目玉

城下町みてあるきマップでは、化学調味料が入った辛汁(蕎麦の付け汁)の店が記憶に増えつづけた。
更に肝心の麺さえ、地物である出石産さんの蕎麦粉を使用していない店が多いことにもがっかりした。

ヘタをすれば、乾麺を湯がいて出される店もあったし、薬味と蕎麦とお茶とそば湯が一気に出される店もあった。
しかし、出石における「出石蕎麦」は観光の目玉。
機械で蕎麦を打ち、醤油と化学調味料を混ぜ込んで、冷凍ネギを出す店に入ってしまうと、その客は可哀想である。
しかし出石にはそんな蕎麦屋も多いのが現実だ。

かといって、良い店もある。
国内産の程度の良い玄蕎麦を仕入れて、その朝に石臼で挽きふるいにかけてから、打つ。そして茹でたてを出されるから、そんな店ではホッとする。

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