毎年6月22日23日24日の2泊3日に開催されている、九州三十六不動霊場会主催、お不動様信仰と巡拝修行の旅。
本年度の巡拝スケジュールが判りましたのでここに記します。
北朝鮮行きは諸般の事情により延期されておりますが、朝鮮半島にはより近い九州の不動尊霊場でもあり、更にご縁を深めさせていただくためにも、今回の参加を決めました。
集合場所は、第8番札所「三明院」さんに12時30分。バスでの移動となります。
九州の霊場に惹かれて巡礼をはじめたのは、確か昨年の12月頃。
鹿児島の桜島を望みながら、その壮大なエネルギーを感じながら霊場での満願を願ったのでした。
この頃小生は何かしら強い悩みを持っていた。それは仕事だったのか、それとも他の悲しみによるものだったのか、つまり自らに固執した煩悩であったのだと思うけれどそれを断つのに巡礼を始めたともいえます。
この最福寺を訪ねたとき、護摩壇には猛き聖火が上がり池口恵観師のからだが火生三昧にうつっていた。
脇僧も無念無想の観をたたえて陶然としている。
香煙のむこうの信者を瞠目すると、瞑目一指の指は不動明王の印を結んでいた。
祈る僧、祈られる衆生の心が一体となって火焔の中に住しているのを観たとき、不動明王の威力を信じて疑いませんでした。
(この様子の動画を載せておきます。クイックタイムが入ってれば観れる筈です。5.7MB、右クリックでファイルに保存して観てください。ファイルをダウンロード)
九州三十六不動霊場巡礼第15番札所、高野山西大寺に向かう途中、「唐人古墳群」という案内板が目に入ったので立ち寄った。
前に立ってみて、まず目に入ったのは大塚神社。
大塚古墳は、南面している前方後円墳で、直径185メートル、後円部の径も101メートル高さ12,6メートルあるとの事だ。
肝属川河口から上流約1キロメートル左岸の唐人地区に位置し1号墳の大塚古墳を中心とした大小140余基の古墳群の1号墳であり、この古墳をご神体にしているのが大塚神社だと言うことだ。
九州の霊場を逆打ちで発心して以来、福岡県〜佐賀県〜熊本県〜大分県〜長崎県、そして結願の地は、小生が母親の出身地、鹿児島県となりました。
その最初の寺院は、九州三十六不動霊場三番目の曹洞宗寺院です。
曹洞宗の本山、永平寺のご開山、道元禅師は「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは自己を忘るるなり」と、おっしゃいました。
これは「仏の教えを学ぶものは、自分を忘れることが何よりも大切なことである」とお示しになった言葉であると、小生は受け取らせていただいております。
このように道元禅師は自分を忘れることで、自分を捨てることとされ、何がなんでも私がと自分の幸せばかりを追い回しても、幸せは咲きへ先へと逃げていって、掴むことは出来ないと教えられています。
しかし、今回の発願の際も、心にあったのは、自分の思いばかりではなかったかと、振り返り思うところもあります。
今回のエントリーでは、最下段あたりにチョイ、ロマンチックな写真があるので見て欲しい。
さて今回は宮崎県の延岡市。
なかでも神武天皇が、大水軍を編成され、東征の船出をされた日本軍発祥の地「美々津」の高千穂海峡が海に延びる岡という意図を絡めている呼称であるいう延岡であります。
九州三十六不動霊場第十一番札所万寿山光明寺は、井上城の鬼門除けに建立され養和元年(1181)土持相模守が開基し、宇佐より智賢上人を招請して開山したと伝えられ、本尊は恵心僧都の作といわれる阿弥陀三尊を安置している。
碧い海。逆白波の寄せる浜。そして果てしなく続く海が霞のなかでも広いことが判る。
風光明媚な日南海岸こそ天下の絶景であろう。
九州三十六不動霊場巡りは宮崎県で二カ寺目となった潮満寺はこの美しい海岸の見える唯一のお寺でもある。
寺院の住所「油津」という地名の由来は、油を流したように波静かな港とも、又は、鵜戸山吾平の津とのいわれもある。
本日より宮崎県、それも南部の大隅半島の中ほどに大きくえぐられたように存在している志布志湾。
この湾にそそぐ福島川の上流部分にひらけている串間市だ。
串間市は、王朝時代にあった「櫛間院」(周囲を垣で囲まれた建物)を復活した地名で、櫛間が転じて串間となったらしい。
その中でも、特に北方では穏やかな農村地帯が開けていて、その水田などが拡がっている一隅の森に極楽寺があった。
日向ぼっこをしているチョロにお出迎えいただいてから、本堂に入らせていただくとご住職に歓待いただいた。
九州の博多相談室に朱印軸を額装して祀らせていただこうとの思いつきで始めた九州三十六不動霊場めぐりも、残る札所は8カ寺となった。
博多相談室に朱印軸を祀らせていただく事。
相談室にお越しになる方々はよりよい生活を望んでこられるわけで、陰ながらも更に幸せな生活を送っていただける祈りのため、また、今回の巡礼ではこの世に生を受けた恩を感じつつも、小生が母親の出生地からも九州へのご縁を感じ、ご先祖様への供養という意味もある。
不知火海に突き出るように位置している宇土半島。
その根占に位置している富合町木原山は、別名を雁回山とも呼ばれている。
伝説に、鎮西八郎為朝が山頂に居城を築き、豪弓をもってあたりを威嚇していたので、空に舞う雁もこの弓を畏れて迂回したことに由来しているとの事だ。