巡礼と家出少年少女

当初は、伏見稲荷大社への参拝に始まり、大峰山などの霊場への山籠もりなど修験的な要素を含めた修業など、小生の意に向くままの個人的な不動尊への信仰から始めた霊場巡礼でしたけれど、たまたま登校拒否(不登校)の子を連れて行って欲しいと依頼者から相談を受け、その子が大変に良くなってから、お連れするような部分にも力を入れております。

このブログで良くなった事を霊験により、記しますとどうでしょう、少し現実的に何故良くなったのか説明しておきますと、これはやはり、睡眠をとらないような山籠もりですと、霊的と申しますか様々な体験を致します。

たしかに睡眠不足ゆえと割り切れば、それはそれでよろしいのですけれど、見えないものが見えると行った事、聞こえるはずのないものが聞こえると言った事もあります。

つまり霊場には、人が誓いを立てるにふさわしい場所や契機も訪れやすく、登校拒否をしている子であれば「学校」よりも恐ろしい存在、これが転じて味方となるのですから、これほど力強くなる体験が無いように思っておりますから、これも霊験と言えばそうなりましょうか。

時には、真冬の滝行をしておりますと泣き出す様な子どもがおりましたけれど、帰り道も判らず言うことを聞かないと死んでしまう様な状況でもあり、失神寸前の時まで行を続けることもありましたが、この場合も怒り狂ったように叫ぶような事がありましたけれど、その後は今までに見せなかった達成感にあふれた顔つきになり、良くなった様なこともありました。

そして、このような事から、近畿三十六不動尊霊場の先達のお役を拝命しましてお子様についてのご相談を受ければご紹介するなど致しまして、時には深く関わらせていただくようなこともしております。

霊場会は、自分自身が少しでも立派になれるように心がける事を、思い起こさせてくれる場所でもあります。(近畿三十六不動尊霊場会とは)

佛教にふれておられる方ですと、立派になれるなど控えて謙虚にと思われるかと存じますけれど、ここでは実際に大物になって人の指導を果たせるようになれるよう、と言った「修己治人」の教えを、とあるご住職より頂いており、今でもこれは目指しておるところです。

つまり、霊場会を通した総会などの集まりですと、やはり普段ではお目通しすら叶わぬお方よりお声かけを頂けるような事もありまして、お声かけを頂けるとはじめは緊張をしたりするわけです。

緊張というのは、あまり良い気分のものではありませんけれども、これこそが自分が成長させていただけるような、単に安定を求めるには随分と判りやすい状況なのです。
未だ木鶏に非ずとの自覚を持ちつつも、「修己治人」を目指すに役立つ空間であると、そう言うわけです。

また、親に暴力をふるう、無気力な子どもさんについてのご相談をお受けするようなことから、家出をして、発見に到っても親元へ帰すだけでは不十分な結果となる事から、家出少年や少女と巡礼を行うような事も増えてまいりました。

もちろん、様々な宗教をお持ちの方がおられますから、すべての方とは言えませんけれど、巡礼ならと浄土真宗の親御様からお子様をお預かりするようなこともありました。

今回は、神仏のカテゴリに記しておりますのに、仕事から派生する霊場への関わりを記しました。

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