近畿三十六不動尊霊場では勿論のこと、全国各地にある不動尊霊場には身代わり不動や水掛不動は多く、健康や病気回復を願った人々が日参あるいは月詣りを続けられています。
とりわけて、ご近所の人たちを含めた信者さんなどにより、所願の成就を祈って尊像に水をかけるといったことはよく見られる習俗です。
特に経典などに「お不動さんに水をかける意味合いについて」の典拠はありませんが、信仰のスタイルとして、水をかけるとともに「願」をかけることが定着したのかと思われます。
それゆえ、こちらの「御室 水かけ不動尊」も一願不動さんとしても親しまれ、お参りに来られた方々も、手を合わせて、さい銭を投げ、水をかける、といった動作を伴ってより信仰の気持ちを高めておられるようにお見受けいたします。
近畿三十六不動尊霊場会の巡礼では、大阪四天王寺の亀井不動、国分寺の水掛不動、そして、今回の京都でしたら、北向山 不動院の行場、ここ仁和寺の『御室の水かけ不動尊』がおられます。
さて、こちらの水掛不動さん。小生は頭からでなく膝から下に水をかけます。
何かの本で読んだか、どなたかにお聞きしたのか、この様なお話しをお聞かせいただいた記憶があるためです。それは「お不動さんの気持ちになれば、真夏日ばかりではあるまい、いつもいつも頭から水だと頭も痛くなります。」と言ったことだったように思います。
確かに、我が身のことで考えましても同じ場所、それも頭から水をかけられてばかりでは、頭も痛くなるものです。
小生なりの理解だけど、やはり掛ける水はただただ清浄なりという気持ちを込めて行うことこそが大切なようにも思います。
さて、一般的な水掛け不動さんの場合、緑の衣という例えのように苔がビッシリはえていて、全身みずみずしい苔の色だと言うことが多いのに、こちらの仁和寺は「御室水かけ不動」さまでは、足元から下のみが苔に覆われており、頭からお顔、そして胴の部分などには苔はありません。
これも、私のお聞かせいただいたお話しが、あまりに有名である証拠、やはりこちらの住職からの法話だったかと思うところであります。
楼門からはいり、金堂を左へすすみます。