関東三十六不動の結願寺院は成田山であり、全国に8箇所の成田山別院がある事は、横浜の関東36不動尊霊場 第3番札所成田山 延命院へ巡拝した際のエントリーに書いたとおりである。
関東三十六の中には、3番、20番、今回の28番、そして本山の成田山が含まれているので、智山派(本山は京都の智積院)の影響力が大きいと言えよう。
さて、今回の巡拝寺院「関東三十六不動尊霊場 第28番札所の「成田山川越別院本行院」は、江戸時代末に「石川照温師」によって開創されている。
師は幼少よりさまざまな困難に逢われ、両眼を失明してしまい前途の希望をうしない、ついに自殺を計る事、三度におよんだものの、それは果たされず「己を捨てる事が出来なかったのは神佛が己を見捨て給わぬ為」と成田山新勝寺で断食の行に入ります。この行で見えなかった両眼に変化が現れ、満願までに平愈。
そして不動尊の偉大なる加持力と大慈悲への感謝から天保13年、39歳のとき成田山の貫首「照阿上人」の元へ出家得度され、諸国を巡られたあと成田山の御本尊不動明王のご分霊を安置している。
見えなかった眼が見えるようになったということ
小生の若い頃というのは、暴走族が流行っていて、大きな事故をおこして意識不明の重体から舞い戻る、そんな仲間もいた。
委細は記さないけれど、その意識が戻るときの表現に、まず自分の体から離脱する自分を話した。自分が自分の体から抜け出して、自分を眺めたというわけです。
そして、ある人はトンネルと言ったり、ある人は暗い山の登り坂と言ったのですが、何かくらいところを通り越そうとするんだけど、なかなか進めない。
そして誰かの後押しや、もしくは自力で遠くの方に射し込んでいる光を見るのです。
そして決まって語ったのは、光があふれていて気持ちの良くなるところに向かったというニュアンスのことで、そこに行くと気がついたという話が多いのです。
その光こそ、ある人にはご先祖様であり、ある人はお不動様であるのです。
そして、その時に光の中に入ろうと進むと、花咲く野を見たり、とても楽しそうな祭り囃子が聞こえてきたり、そしてある人の場合は、川の向こうに生前やさしかった祖母が立っていて、こっちに来てはいけない、と繰り返し言うようなことも聞いたことがあります。
小生は、臨死体験をするよう行をして何かを乗り越えようとしたとき、この様な光が見えるのではないかと思っております。
19歳の時に経験したのも、4時間ほどはさまよっていて、目覚めるときの慈愛に満ちた光に包まれた目覚めは、その気持ちよさを忘れることが出来ない程です。
いま思えば、その様な時、なんらかの脳内物質が多量に放出されているのでしょう。
つまり、お不動様の慈愛をいただきながら、自身で覚悟ある行をするとき、この脳内物質が、良い作用をもたらせる可能性があるのではないかと思うのです。
そして、臨死の体験や光の事も、近い将来には何か科学的な証明がなされる、時代がくるに違いない。
まぁ、そこまで小生は生きながらえていないでしょうが。