そのむかし、どこかの国じゃ、「塩」「酒」「鉄」は専売制で税金を取っていた。
この専売実施のため、「酒は百薬の長」と、唱えることになっている。
百薬の長とは、多くの薬のなかで、もっともすぐれた薬という意味だ。
この酒を好都合に、つまり日本酒をガチで呑むようになったのは、16かな。
千本竹屋町の千楽ってお好み焼き屋で、学校帰り。もしくはその途中に焼きそばやお好み焼き、これにプラスして黒剣菱。
学校の登校前や授業中、帰り道には百薬の長にぴったりだ。
ここの店は思い出深い。ソースの味わい、これは小生の舌にはぴったりだったな。
この時に呑んでいたのは、「黒剣菱」。だからこれはあれば呑む。
それに同じころ、探偵調査の現場帰りごと、JR天満駅あたりの立ち飲みに、柏さん、横さん、欣ちゃんの三強が連れて行く。
この三人の集団には1時間で酔っ払い、すぐに寝て回復する技を教えていただき、いつか書いた「おいしい食べ物」に登場していただいた、金子社長には美味いものへの興味や味わい方をお教えいただいた。
つまり、そのころから酒は百薬の長。もうホントこれを補強していただいた方々にはあらためて感謝。有り難うございましたです。
さてと。
これにウィスキーが加わったのは、キャッスルゲート。京都全日空ホテルのバーで、宮本成彦氏とあった時からかな。
洋酒には様々な種類がある事は知ってはいたけれど、本当に美味い種類や、ましてプレミア酒なんてのは知らぬ、二十代半ばごろから通ってたんだから、もちろん小銭をもって行くわけで、いやぁよくも根気よく小生の相手をしてくれていたなぁ。
宮本氏というのは顔はさておき、今もだけどやはり心は男前であったんだろうな。
宮本さんにはここで改めての感謝をしておきたい。あんがとね。
そして、三十の前半だ。
少しは浮いたお金が出来てきたもんだから、アテの美味いところに行くようになる。
これが二条堺町にあった味匠寺岡さん。
ゴボウのたいたんとか、鱧のおとしとか何これ?の様な御料理ばかりでナニをお願いすれば良いのかも判らなかった。
御大将、寺岡秀章氏と三崎君から日本酒とあう御料理とか、また御料理にあう日本酒をたくさんご教授いただいた。綺麗なヒノキのカウンターの席に座り頂く味、寺町に移転されてからも通わせていただいている寺岡さん、有り難う。いまも最初の印象がいい人は、必ずここに連れて行ってみるなあ。
しかし小生の場合、酒は百薬の長どころか、そのほとんどが、憂いを忘れ去るための『忘憂酒』であったかと思う。