息子の彼女。むしろ僕が大好きで…。そして彼女が「素敵で素直でかっこ良い」と感じる。

まずは誤解がないように、しばらくはタイトルから離れます。って事を先に、そして紅白観ながらでありまして、まずもって先にひと言…。
(今はまだよっておりません、つもり。)

で、これから本文をつらつらと書かせていただくのにです、それもこの年の瀬押しせまった今、紅白に魅させていただき日本酒の少し良いの(ご依頼主に頂いて楽しみにしていたやつ)を呑ませていただき、かつ、素敵な歌唱力を感じさせていただいている今。
「やはり本物の人が真心ある」ってことをテーマに書こうと、そう思うわけです。

今、聞かせていただいている、ホンジェラアキさんの歌の歌詞にも関係なくです。
これから書かせていただく「本物の人が真心ある」ってテーマは、思うところがあってのことで、年末のあと90分で新年って中、お読みいただけている御仁に、ホント申し訳ありません。けれど読み始めたならついでです、よろしくお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

まず、真心なんて言葉なんですが、きのう、南天の実を観ていて思ったわけです。
ホント(自然)の中に、一粒の嘘(虚構)を混ぜると、もっとホントらしくなる。
ってことです。
これは詐欺師の常套手段なんですね。

だけど、生きていると、一粒の嘘を混ぜなければならない時もあります。
しかしですね…、これに固執すると人間として生きさせていただける、という事からは縁遠くなる。

どうやら、この自覚にその人への真心が参画しない限り、自分の生き方を自分自身で認めて生き続けることは出来ない、と思うわけです。
(すでに六号瓶×2であることを自白しておきます…)

ま、もっとも、この頃ですとどうでしょ…w
真心で生きているような人は見かけない。もしくは少ないです。
本物の人は、人目に立たず、心の通う人だけ、どこかで魂を捉えてくれるのでしょう、その機会なんて、なかなか来るもんじゃありません。

なんでだろ、人に本物の真心なんて、思い始めたのは…いやむしろこれで良かったと思える大晦日でありますよ。
(と、ここで六号瓶を二本目が空きそうっす…)

えと、唐突ですが。
ボクね、「ディベート」という「言葉」を知らなかったんですよ。
覚えたのほんの12年前、さらにまだディベートが何のために、そして日本人に使われた方が良いという意味がわからない。と、しばし脱線するわけですが。

まず、青年会議所(JC)という団体を知っておいて欲しい、

「責任感と高い見識に裏付けられた知行合一による自分づくりの実践
私たちは、つよい国づくりへと貢献できる清らかで潔い真の日本男児の育成に取り組み ます。そのためには、「知行合一」を模範とする真の日本男児育成プログラムを開発し、 自己研鑽に取り組んでまいります

また、私たち国民一人ひとりが、この国の歴史に向き合い学び、地域や国を愛する心を 育むために、DVDアニメ『誇り』を活用した近現代史教育運動を全国で展開します。 日本人が大切にしてきた文化を大切にし、それを次の世代に引き継いでいける意識を育む ことで、自らの言葉で私たちの国の歴史を語る事ができる大人の育成に取り組んでまいり ます。http://www.jaycee.or.jp/ここからパクリました

ああ責任感。
これは僕の生涯において実践してゆきたいテーマなんですよ。

この青年会議所において、朝から生テレビを真似たディベートイベントを、京都ブロック協議会いう組織体で橋本光夫さんの基でたずさわらせていただいとき、実はディベートって言葉すら、賄賂かなにかの話(それはリベートとやがな)かと思っていたほどで、その時に、欧米じゃ学校の授業で「ディベート」という科目があるとか聞いて、なるほどそれで自分の意見を堂々と言うんだと感心した。そのときは心でいうところのヤマトダマシイ民族に、そんなもんは必要ない。
まして日本にそんな文化(その時は「文化」と思った)が入ってきてはいけないと、思っていた。

自己主張なんてのは、すべきじゃない。と思っていたのです。

ところが、いまや韓国、中国は自己主張先進国にとなり、いつもやっつけられている日本。
国際的な舞台に登場しては大人しく何も言わない結果、日本人の文化が新しい世代に送るべき文化という点で、歪めて伝えられ損なわれているように思える。
その結果、このネットの世界でも、口だけ、格好だけが達者で、それを売り物にしているようなブランディングをしているクソ小生意気な餓鬼が増えている。

これを振り子を振った右側だとする。
じゃぁ左側に振るとすれば、だれにも何も話そうとせず、一体全体ナニを思っているのはわからない人が、突然キレてキチガイになり刃物を振り回す人間もいた。

僕は、たぶんだけど、そのどちらでもない、中庸だ。(と思う)

ああ、酔ってるなあ。
と思いつつ、三本目は凡の超吟醸に…(いかん、正月の酒が…)。

で、ですね。
僕は34歳に入会したんです。
んで、改めて告白しておきますけど、僕は青年会議所に入れていただく機会がなければ、どちらかになっていた要素(性質のどちらかなら質という意味)があったことを、今ここで告白しておきます。

これ。僕の仕事(業種としておこう)に責任を押しつける気はありませんけれど、ね。いまだって日々X充分なストレスの蔓延に、さらに幾重にも覆い被さってくる日々のご相談、そして改善策の検討と実行を行う中、、どうしても素面で、それも自分のメンタルガどうあれ、必死にご依頼主を元気づけて、出来れば復縁して頂こうとす対応していられようか。慣れることの出来ない日々の変化に満ちて次の何かもなく、プラスして探偵の張り込み尾行の現場に出る当時の事。これは今でも思い出せば疲れてくる、そんな時もあるのです。だから、30代のころの人にいま出会うなら、どうしてそんなに穏やかになったんだと(ここで書くのは少し照れくさいのですが)言われることが多くそれが証言している。

その殺伐とした相談内容や調査現場での本格的な体験を、若いナマミで日々全身で受け取っていたわけで、正直、いまだに離婚は嫌だけど、離婚なんて今でも耳にすればデフォルトで腹が立つし、特に人間の死が関わるような問題の時には、ギリギリを通り越していたときもあったのは事実なんだ。
だから刃物までは行かずとも、そうしたくなる気持ちが少しだけどもわかる。しかし幸いにも「次の仕事」が待っていたから、少なくともその仕事を与えてくれた上司への責任感(ここでは頼りにされているという意味)が勝ってくれて、47歳の現在は、そうせずに済んでいる…。

でですね。
この青年会議所に入会させていただいたのが34歳なのです。

それ以来、本当に多くのメンバーやその仲間と触れ合わせていただく事、そこにいる多くの先輩から多くの責任感(ここでは仲間と結ぶ約束という意味)を通して、多くのヒントを感じることが出来ました(なんか、なんかの新興宗教の体験談ぽいな)。

たとえば簡単なことだけど、どんなときでも、自分が自分で活き活きしていると思えば元気になり、自分が無力だと思えばやる気が失せる事。さらに、微力でも他に出来ることがあると思えば、どんなときでも少しは力の涌く実感を得ますし、なにもしなければ、まさにナニも起こらない。あたりまえだけど、無為な時間ばかりが過ぎていくこと。
40歳で卒業なんだけど、47歳のいまでも「いつも素敵で素直に格好良く生きている。」と言い聞かせれば、不思議なのだけれど、なにかしら元気が出てくる。そんなことを感じさせていただけるよう、鍛えていただけた。

さて、今回冒頭に書いた「思うところ」と言うのは、これなんだ。
偉そうに聞こえるのかもしれないけど、そうならゴメン。「やはり僕は、真心をもって人と接しようとしている人間でないとお付き合いが出来ないようだ」という事だ。
もちろん、完全な真心がある人なんて、まずいない。
だけど不器用だって自覚を持って、真心を持って、今度は今度はと向上させようとしていなければ、僕はどうやら飽きていってしまうご様子だ。
かといって僕に出来ているのか。
これは保証がないけれど、人様に対しては、そのうちなんだか飽きてしまう。これが今の自分で仕方ないとおもっている。

いや、これではイカンので、これも来年の課題となろうか。
ミスチル、いいな。
「長い間君に渡したくて、強く握りしめていたから」か。

ああ、あと一時間で今年もおしまいか。
子どもの頃はあんなに1年が長かったのに今はあっという間の47のオッサンだ。
去年より、今年。そういえば、おととしから去年も時間が経つのを早く感じてきたようだ。
だから…とは言いたくとも言えないが、つまり振り返る時間も少なくなっている。
年々、傲慢になってきている自覚を増やしてゆかねばならない。

しかし、年々課題は多くなっている。

継続、つまり自分自身の本業については、東京ベースの仕事は増えるが体制が伴わない…。いつまで経っても自分でやってしまう自己改善こそが継続の第一歩であろうし、餅は餅屋と更に甘えてみるお稽古をさせていただこう。

発展、つまり新規性のあるカタチは、これも何故か山っ気がマッタク無い、それも精査された状態で目の前にあふれている。これも全て関わると来年の今日ではまったく終わりそうもないのだから、今年の最後に出会った新規性のカタチからコミットさせていただこう。

プライベートでも、節分すぎたら神宮に参ろう。
関東三十六不動も再度チャレンジ、京都十三佛霊場のサイトも新春にはウプしなきゃ、それにそれに三都巡礼も春には、あ、そういや「竹の子うどん」の商標商品化も忘れちゃならん。

と、ここまで書いたら年越し蕎麦ができたようでごわす。
今年は何だかんだで、打てなかったけれど、来年こそ少し余裕のある自分が時間を作って、すごい美味い蕎麦をお配りできるように出来ればいいなあ。
とここまでで、ベロベロになってきました。

いあやはや今年も一年本当にお世話になりました。
特にしばらく会えていない○○○も、もうそろそろナニの機会が訪れ来るのだろうか。
なんだか酔うたびに思い出すのだけれ黷ヌ、本当にどうか幸せになって欲しい。
いつまでもこれは正直に思い続けている正直な気持ちでありますよ。

さあ、ナイスな時間をクリエイトするのは、イエス、マイセルフ。
どうか、どちらさまも本当に良いお年をお迎え下さいませ。
ボクは頂き物の蕎麦をいただき新年に備えさせていただきます。

良いおとしを!良いおとしを!良いお年を!

    2009年 大晦日 瀬戸 啓一朗 九拝

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