行者でいると言うこと

先日の不動尊霊場法要。

集合時間の10時よりずいぶん早く到着。実は8時過ぎに着いておりまして、近くの八大さんなどお参りしたり付近を徘徊wしておりました。

そして、小一時間。曼殊院は昨夜からの冷え込み、もうすっかりと紅葉の盛り。

つい数ヶ月まえに見た、同じ樹木の新緑が、なぜこんなにも真紅に染まるのかと、ひとり感動しながら、その自然のトンネルを通り抜けます。

すると、見えてきたのは曼殊院の山門。白い壁のまわりには、たんぽぽの色や、バラ色に金や赤か、舞妓の指す紅に銀や朱をあわせたような色、とても素敵な色が一枚一枚の葉に取り付けられている様なイメージです。

法要は、普段はいることの出来ない「曼殊院の不動堂」でおこなわれ、6名もの先達さんがあらたに補任されました。

法要のあと、数人の先達なかまと一乗寺の中谷さんにお茶をしにまいります。(東側に5台分のガレージが出来ていた)

今日は、その際にお話しいただいた事と、それにともなって、とあることを一週間ほどしたこと。そして今思うことを書こうかと、そのように思うわけです。

(曼殊院)
しかしここで、これを書き始めると、長くて、なんだか、まどろっこしくなりそうなので、結論だけ書く事に、たったいま変更した。

ようはタイトル通り「行者でいる」と言うことなんです。自分自身がですね。

これを忘れていたし、自分がこの不動尊霊場に居させていただく意味合いってのは、何だかんだいっても、これが一番良いスタイル。自分でも腑に落ちる。

今の自分に、ちょうど良い言葉のサイズで、さらにブレにくい言葉なのです。

およそ二時間ほどお話しいただき、その後の行。今となって、この言葉を頂けたように思う。

西川先生、今回のこと本当に感謝しております。

さて、ここまで書いていたら、無動寺明王堂から、とある内容のご連絡を頂いた。

さっそく明日上がらせていただく事にしたのだけど、つながりはじめると、つながりの連続があり、また嬉しくなる。

明日は地元のT氏と8時に待ち合わせ。無動寺へ向かう。

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