宅飲み

自宅や友人宅で酒を呑む。

これを「宅飲み」(たくのみ)なんて言うらしいが、地元で酒をやるには最適環境だろうと思えております。

だれとなくノンカテゴリで呑むのを嫌がるワケではないけれど、自分で気が許せる範囲で自分のペースを保って気兼ねなく、気ままな時間を気ままな仲間と過ごす

ときには、そこの奥さま手作りの鍋、またときには、パックのものをスーパーで買い込んで、皿などに移すのではなくパックのまま好き勝手に箸をすすめて、酒をやる。

これって、僕のようなオヤジ連中が集まってやるのには、ちょいと不自然感もあるように思えるんだけど、面白く為になることに気づいた。

いつもなら、食いしん坊ブログらしく、ここで料理のお話しって事になるけれど、今日はちょいと違った方向で記してみる。

この「宅飲み」。

まぁいわゆる自己開示というか、「酒の上の話」を進めるから、自分も受け入れられて心地よいわけです。

たとえば、自分のモロモロの鬱積…、いやつまり、本当は自分の性格で悪いと思っているところに気づけたりする。

だれだって、自分の性格で悪いところを知っているものであるけど、、わかっていても直らないから短所だと…、その点も知っている。

ただ、ここを直したいと思うかどうか…、その機会として良いわけです。つまりは、良いきっかけとなると思うんです。

僕なんて、自分の長所を伸ばしたいと思っているほうですし、また人様から長所を伸ばして欲しいと思っているほうです。

短所がわかると、長所も判ります。

長所を伸ばしていゆけば、短所は隠れてくる。

しかし短所は、常に短所かというと違います。

置かれた状況によっては短所が長所に変わる場合もあります。

だから、この様な宅飲みであれば、短所も長所として受け入れられ、また受け入れることで、自分の長所も伸びてゆくものなのです。

それと、この宅飲みの仲間でなら、なにか自然と暗黙のルールが出来上がっていて、まず自分自身を認めるということ、それに、短所を踏まえた自分を認めるという事で、それが自然と出来ている。

そうすることで、その場にいる人をも認めて自分事として受け入れて比較検討…。

とまあ、いや実際は、こんな事を考えながら飲んでいるわけではないけれど、今振り返って考えてみても、その時の自分には元気があるし、さらに、結果的にはこの長所が短所をみとめ、その上で凌駕しているって事になっているなぁと、そんなことを思いつつ…。

次の宅飲みの機会はいつになるのかと、楽しみにしているわけです。

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