耳慣れないと思うのだけど、「系図立」(けいずだて)と称する言葉がある。
この言葉の意味は、我が家の系図をりっぱだと自慢する者を指すことで、少し前まで、われわれの探偵業の仲間内でも使っていた言葉だ。
系図がいくら立派だからといって、当の本人が立派ですぐれているというワケじゃない。だけど自分の姓氏苗字が、れっきとした家柄の出であるといって、自慢したがるのは人情だ。
系図を重大視して、縁談などの場合に、身分の低い者が家柄をよく見せかけようとするために、立派な家系の貴族の系図を金銭で買うというような悪習が行われるようになり、これも系図買いと称していた。
だから、家の系図を偽作する「系図知」(けいずしり)という名で呼ばれる表向きの商売ではない系図づくりの専門家まで封建武家社会の時代には生じていたというが、こんな不埒な商売が出来たことも、今の時代なら戸籍売買なんてのも裏社会ではあるのだから、あまり不思議なことではない。
つまり系図には、誤りが多いのも事実であるから、系図の史料的価値について、無条件で信頼するのは、はなはだ危険である。
古より系図が名門武家にとっても大切であったからこそ、偽作され現代に伝わっている事がしばしばあるのだ。
たとえば、同姓同苗字の孫枝子葉の各家系図を、幾種類もみるなか、それらの家系図がおのおの異なっていて、遠祖から何代目も違っていれば、人物名も違っていたりする事もある。
明治の史学者坪井久馬三氏は、歴史研究上、まず時と所と事物の連関における根本的な史料として、当事者がみずから作った古文書、書簡、日記、覚書の類を第一とし、次は、時を過ぎて書かれた追記や、覚書、公文書、古文書類が第二、完全な家譜、系図や伝記類は第三、転写書類の脱漏竄入があって、はっきりと区別できないものや、地理、遺物などを四等と史料を等級づけ、これを根本史料として挙げられている。
だから、系図、家譜の信憑度には、第一、第二史料、またその他の史料を参照検討する必要があると思った方がよい。
それから、江戸時代の諸家系譜を探るのに便利な史料としては、新井白石の「藩翰譜」と、徳川幕府三大修史事業として、林大学頭が大勢の学者を総動員して編纂した「寛政重修諸家譜」は、権威とされているが、これとても誤りがないわけではないと思う。
今回はココまでとして、次回、系図の形式、作り方の参考となるよう、信憑できる赤穂義士関係史料を参照して、断絶した赤穂浅野家の略系図を、なるべく簡潔に記してみようと思う。