京都では古くから「十三詣り」の習慣があります。
小さな頃の思い出に、とても着飾って親に連れられて嵯峨嵐山の虚空蔵さんに智慧を授けてもらうのに、こちらはお詣りに行けない淋しさを子供心にも悲しく思った記憶はこの年になっても消えません。
(いや単に、千歳飴が貰えなかったから、口に出来なかったからという節もありますが)
京都のこの十三詣りは今日でもさかんですし、各地にもそれに類したことが多いようです。
十三詣りとは、生まれた年の干支(えと)が、はじめて戻ってくる十三年目のお詣りです。
この年は、男女ともにはじめての厄年とも言われ、また、心身ともに成人への一歩を歩み始める意味で、少し昔ですと、男子は元服の祝い、女子は本身祝いなどをしたようです。
ここで干支という言葉を出しましたが、干支と十三仏信仰の関係はあるのでしょうか。
なぜ十三にあんると虚空蔵さんにお詣りして智慧を授けてもらうのでしょうか。
これら詳しいことは、お詣りに行くものにとっては、それぞれで重要な事ではなかったようです。
このあたりの事。十三詣りの十三と、虚空蔵さん、十三仏とのことなど、これから、あらためて探求してゆこう。