九州の霊場に惹かれて巡礼をはじめたのは、確か昨年の12月頃。
鹿児島の桜島を望みながら、その壮大なエネルギーを感じながら霊場での満願を願ったのでした。
この頃小生は何かしら強い悩みを持っていた。それは仕事だったのか、それとも他の悲しみによるものだったのか、つまり自らに固執した煩悩であったのだと思うけれどそれを断つのに巡礼を始めたともいえます。
この最福寺を訪ねたとき、護摩壇には猛き聖火が上がり池口恵観師のからだが火生三昧にうつっていた。
脇僧も無念無想の観をたたえて陶然としている。
香煙のむこうの信者を瞠目すると、瞑目一指の指は不動明王の印を結んでいた。
祈る僧、祈られる衆生の心が一体となって火焔の中に住しているのを観たとき、不動明王の威力を信じて疑いませんでした。
(この様子の動画を載せておきます。クイックタイムが入ってれば観れる筈です。5.7MB、右クリックでファイルに保存して観てください。ファイルをダウンロード)
仏説聖不動経に、「無相の法身は虚空と同体なればその住処なくただ衆生の心想の中に住したもう」とある。おもえば九州の巡礼は、この鹿児島にて発願し、同じ鹿児島にある最福寺にて結顔をさせていただけた。
母親の里である事はどこかで記したが、この鹿児島は僕の故郷のようにも感じられた。
薩摩半島の尾根を貫く指宿スカイラインから、錦江湾を眺めると裾野を海に沈めた桜島の容貌はこの故郷の偉大なる象徴である。
この半島の中ほどに位置する最福寺。
ご詠歌に「ありがたや 七つの福の 最福寺 不動の功徳 あらたなるらん」とあるように、参道には「鹿児島七福神根本霊場」と染め抜かれた千本幟が並んでいた。
ここにお寺を説明した文章を引用しておこう。
草創は大隅半島に寺門の基を興し、相嗣秘伝の日護摩を厳修する池口恵観師が、不動明王を霊告をうけてこの地に新寺を建立した。
以来、火生三昧に住して日護摩を勤行し、現在でも真言秘法の八千枚護摩供に挑まれて衆生済度の霊験を顕現している。鹿児島七福神根本霊場を宣揚したのも霊異のみちびきであったとの事で、不動明王を念じていたときに烏帽子を冠る漁夫が現れて夢遊の如く引かれていったのが烏帽子岳に鎮まる古社の烏帽子神社であったときく。
この不思議な霊夢に感悟した池口恵観師は烏帽子が恵比寿神に異名されてきた古代の信仰に鑑み、七福神の尊像ことごとく勧請して根本道場を宣揚し、神の恩恵に浴した七福神の信仰は不動信仰とともに現世利益を授けるあらたな尊像と崇められるに至ったのです。
(最福寺の本堂前にて。東長寺さんで手に入れた掛け軸と)
現在では、鹿児島観光七福神と呼ばれる霊場となり、地場産業と一体になったユニークな霊場としても親しみやすい存在となっている一方、ジャイアンツの清原和博選手やタイガースの金本知憲選手が厳しい修行の道場としてもよく知られている。
今回の九州巡礼では断つことよりもむしろ全てを受け入れる大切さを感じさせていただけた様に思える。
ところで最近この歌を覚えた。
何となくだが良い歌だと思う、結願の記念に歌詞を記しておこう。
心が今とても穏やかなのは この日を迎えられた
意味を何よりも尊く感じているから
特別な事など何もない ただ いつもより少し
シャンとした服を着ているだけ 君はとても綺麗だよ
何かといつも忙しく まだまだ想い出は多くないけど
やっとここから踏み出せる未来
始まりの鐘が 今 この街に響き渡る共に歩き 共に探し 共に笑い 共に誓い
共に感じ 共に選び 共に泣き 共に背負い
共に抱き 共に迷い 共に築き 共に願い
そんな日々を描きながら..気付かぬ間に二人 似たもの同士 仕草も笑い顔も
そこに生まれてくる命には 何よりも尊い 二つの光を
ぶつかり合うときも来るさ 綺麗な事ばかりじゃないだろうから
全てを君と超えてゆくと決めた
始まりの鐘の音を いつまでも忘れない共に歩き 共に探し 共に笑い 共に誓い
共に感じ 共に選び 共に泣き 共に背負い
共に抱き 共に迷い 共に築き 共に願い
そんな日々を描きながら..偶然という名の運命 そんな出逢いだからこそ
何気ない瞬間を 今日からは かけがえのない瞬間に共に歩き 共に探し 共に笑い 共に誓い
共に感じ 共に選び 共に泣き 共に背負い
共に抱き 共に迷い 共に築き 共に願い
ささやかな幸せが 木漏れ日のように
やわらかに降り注ぐ そんな日々を描きながら..いつの日も どんなときも
烏帽子山 最福寺
〒891-0133
鹿児島市平川町4850-1
099-261-2933