光明寺 (九州36不動霊場めぐり 11番札所)

今回のエントリーでは、最下段あたりにチョイ、ロマンチックな写真があるので見て欲しい。

さて今回は宮崎県の延岡市。
なかでも神武天皇が、大水軍を編成され、東征の船出をされた日本軍発祥の地「美々津」の高千穂海峡が海に延びる岡という意図を絡めている呼称であるいう延岡であります。


九州三十六不動霊場第十一番札所万寿山光明寺は、井上城の鬼門除けに建立され養和元年(1181)土持相模守が開基し、宇佐より智賢上人を招請して開山したと伝えられ、本尊は恵心僧都の作といわれる阿弥陀三尊を安置している。


光明は如来の請願を摂取することにあったのだろう。
如来四十八願のなかで、光明の願を十方摂化の願いともいう。
これは光明無量・寿命無量・声聞無量・離譏無量の諸願のことであり、あまねく衆生を救いとり利益をあたえるという慈悲の誓願を言うのだから、城中の鬼門を払い、領民の利益を願っての建立であったのだろう。

その後、高千穂連山の修験者により、光明寺も行者の信仰をもって不動明王を奉安するようになり、密教の儀軌によって加持祈祷を厳修する。
現在、整備された境内には雄大な伽藍が鎮まり、信仰を育んできた阿弥陀三尊を中心に秘仏の不動明王を安置されている。

御堂の右側には淡島神社の祠があった。粟島明神ともいわれ女性に関するあらゆることに霊験のある神とされる。
さらに右に土塀があり、その棟の石仏は西国三十三カ所の観音像。他界信仰の現れとも言う十三仏はも安置されていた。
不動明王より虚空蔵菩薩にいたる諸尊の因縁は初七日に始まり、三十三回忌に結縁する。初の不動明王は、亡者を惑わす悪魔を降伏させるのである。


帰り道の日豊海岸国定公園、ここにある細島灯台東側の断崖絶壁は、岩肌が馬の背中に似ているからこう呼ばれる奥行き200m、幅10m、高さ70mとの案内があった。
日向灘の荒波と谷底から吹き荒れる風は、垂直にそそりたっているこの背を立ち上げて、正に上昇気流が吹いていた。

さらに近くにクルスの海があった。
訪れると願いが叶うという不思議な言い伝えがあり、写真の展望台から見えるクルスの海は、その岩の形状が「叶う」という文字に見えることから、こういった伝説が言い伝えられたものだ。


ちなみに次の写真の鐘は、人間がいたわりあい想い支え合う姿を表現していると記してあった。
二つの曲線の重なるラインはお互いの足りない部分や弱いところを補い合い、相手を思いやる姿を表現し、上に向かい細くなる形は我々の願いが天に向かう意味を表し全ての願いと希望を象徴しているとのことでした。


小生も心を落ち着かせてついてみた。
新たなクルスの海伝説をつくるために。

はいはい。

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宮崎県延岡市古城町2-13-5
0982-32-2307

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