「宮崎といえば新婚旅行」を連想するのはボクやボクよりも少しお歳が上の人、若い人ならばむしろミヤザキは、東国原英夫知事が顔となり、新しくクリーン〜おもてなし日本一の宮崎といったイメージへと変化してきているのでしょうね。
ボク自身もこの南国の国は、訪れる度に楽しみが倍増する場所。
その宮崎の宿、シェラトン・グランデ・オーシャン・リゾートは九州の中でただひとつSPGの特典関係で泊まれるホテル。
10年ほど前の三セク時代、つまりシーガイア直営ホテル時代では、ただ高い宿泊料という記憶であったが今はこの特典のお陰様でとてもリーズナブルでボクにとってはとても良い感じの五つ星ホテルに生まれ変わっている。
宮崎市内の繁華街、橘通りくらいならタクシーで直ぐだし、月読や新月といった松泉宮の風呂も良い。
(このSPGのプラチナ特典は国内外を問わず、無条件でスイートにアップグレード・朝食の付属・翌日16時までのレイトアウト・ジムやドリンクフリーのラウンジ使用、専用コンシェルジュなどさまざまな特典が付くホテルプログラムです)
さて、第十二番札所 蓬莱山 長久寺は、この宮崎市を二分する大淀川の南に位置する。
二分というのは、いささか大げさなようであるが、大阪の大淀川よりも広く感じるほどで、水量も豊富であるからこの様な表現が当てはまる。
創建は永禄五年(1562)、隆盛を極めていた伊満福寺卅八世和尚が隠居所として建立したと伝える。
その後、廃仏毀釈にも難を逃れてきたが、僧もいないまま境内が荒廃としていたが、悲惨な現状を憂いた後藤良則氏が、高野山恵光院の近藤本玄師に再建を依頼し、結果、弟子の小林本弘和尚に白羽の矢が向けられ昭和三十九年現在の高台に再建して今日がある。
境内に入り階段を上がると本堂。
須弥壇の六観音は、表情穏やかにあった。
忿怒の不動明王は、剛強難化の相をしてこちらをみておられた。
さて、九州三十六不動霊場にご縁を頂いてから、まもなく四ヶ月目を迎えようとしている。
そもそもは自分の心の弱さを感じた事を起点に発心した霊場巡りであったことを、今さらながらここで告白しておきます。
しかしもうこの位の期間が開いてくると随分余裕めいたものも見えてきたものだと思う。
ところで小生の仕事がらなのか、随分と誤解されているところがある。
特に呑んでるとき「瀬戸さんは、日ごろから色んな修羅場をみてるだろうから、精神的にも強いだろうな」って事だ。
「なに言うてまんねん」。
もうね、今回も今のように少しの余裕を感じられるまでに四ヶ月もかかってまっせ。
本当に自分のことはからきしダメの巻って事です。
長久寺さんのご詠歌に「観音の お慈悲は無量 長久寺 導き給え 六道衆生」とあるのだけど、その「お導き」すら欲せないとき、ずっとお不動さんを見つめてきた。
だから今日もある。有り難いとしみじみと本堂のお不動さんの前で手を合わしたら涙が出てきた。
日々感謝である。
観音の お慈悲は無量 長久寺 導き給え 六道衆生
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宮崎県宮崎市大塚町城ノ下2825
0985-51-5589