五大力さんで大安心を得る

「笑うからおかしいのであり、泣くから悲しいのだ」と聞いたとき、悲しいから泣くのであり、面白いから笑うのだと思っていたので、考えてみればなるほどそう言うことかと思った。
なるべくは、形だけでも穏やかな笑顔でいたいから、まずは形だけでもそうありたいものだ。

笑顔でいれば普通腹の立つようなことがあっても、不思議と腹が立たない。
そうすれば後で後悔するようなことにもならずにすむ。

とはいっても、人間誰しも腹が立つこともある。
ただ普段怒りっぽいと、自然とその様な人相になってくるから注意もしたいものだ。

今日は五大力さん。
寒さを感じながら醍醐寺の山門をくぐると、一変、いつもながら人の多さと熱気、別世界となる。

醍醐の「五大力さん」として親しまれているこの法要は、千百余年のの歴史をもち、醍醐寺開山以来連綿とつづき、今年も2月23日に行なわれます。
当日限りに授与される「五大力さん」の分身御影(みえ)は、盗難はもちろん、身に降りかかるあらゆる災難を除くご利益が顕著であることから、一身一家の守護としてまつられ、特に、盗難・災難除けの身代わり御霊符として信仰されています。
この「五大力さん」の分身御影は、醍醐寺一山の僧侶によって7日間、21座にわたり、醍醐寺においてご祈願されたものです。このご祈願された御影・御守が年に一日、2月23日のみお授けされるのです。

人は時として災難に見舞われることもある。
この一つに人災もあるのだけど、これに見舞われると存外に苦慮するものである。
心配しても、苦労しても、この第三者から受ける迷惑が無くなるわけではない。
時として、ただ重くなるし深刻にもなることがある。

そんなとき、毎日の生活の一部と人災を考え、ただその災いそのものに対して対処をして、心静かに自分の信じる仏さまに手を合わせて解決の時を待つのがよい。これが解決を早くする一番の秘訣であるからそうしている。
解決の行方はすべて心の持ち方にあるためだ。

だけど、これ以上は人間関係の不安をこじれないように、と先にあれこれと考える。
誰しもが心の中に不安を持たない人はいないだろうけれど、こんな不安を克服して安心を得るには、問題に対して効果的と思われる方法を出来るだけ尽くしたなら、あとは仏を信じるのみが良いのだ。

仏は、万徳円満の御身。
智慧の光、悟りの姿、威厳の力と解脱の姿、大慈大悲の結晶。
この世における迷いの闇を照らす光、悪魔を征服する力、おちいりやすい闇を照らしてくださる光なのです。

小生の場合、調査部や相談部は元より、自宅や仮眠室などすべての戸の上で室内に向けて、五大力さんをお祀りする。
いつもその下を通らせていただき、五大明王の御加護を頂くのだ。
この繰り返しを毎日の生活の一部と、日々とらえ直して繰り返すこと。

これが小生のとっての「大安心を得る」方法である。

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