成仏寺 (九州36不動霊場めぐり 3番札所 )

六郷満山末山本寺十カ寺の一つである成仏寺は、短い参道階段に二対の仁王像が安置されている。
登り口に立つ仁王像は、鬼会の際に台石から倒れ、現在は膝以下を台石にコンクリートで止められている。
阿形像は、左手に持つ金剛杵を肩に構え、右手は拳にして腰に当て、吽形像は、右手を肩に当て掌を前に開き、左手は拳にして腰に当てている。いずれも額に数本のシワが表現されている天保二年(1831)の作である。

ここ成仏寺も、国東の中にある内でも特に深い山里の一隅に伽藍が鎮まっている。
静寂な境内からは千古の歴史が偲ばれるが、この地には現在も鬼会(修正鬼会)が息づき、国の重要無形民俗文化財の指定を受けている。
斎事は、旧正月五日に営まれ、山を挟んだ岩戸寺と隔年で行われている。


この起因は、仁聞菩薩が日本余州の神仏を勧請して国家安泰・五穀豊穣・無病息災・所願成就の法会を行ったことに依るとされています。
その後に、六郷満山の各寺に鬼会田と呼ぶ荘園が附与されて盛況に発展していたが、中世に行われた豊臣秀吉の地検に寺院の鬼会田は没収されたことから経済力を失ってしまい勢いを失った。
しかし庶民は、成仏寺修正鬼会として六郷満山を三山組織として護持してきた。

この日の祭りは一度目にしてみたいものだが、荘厳な火の祭典らしく旧正月五日の夜を待って大松明に火を点けご宝前の灯明として、僧衆の法華懺法に始まって、真言呪は鈴の音を交えて祈念。様々な儀式の後「四方固」という儀式を奉請して終えるとのことであった。

さえt、成仏寺は養老二年(718)、仁聞菩薩が創建されたと伝えられている。
開山寺には、妙見山浄土院と称していた。その後、中興二代順清阿闍梨の時、当時の奥の岩清滝観音の下に地獄谷と称する谷があり、そこに毒龍が住み村人に危害を加え恐れられていた。
依って順清阿闍梨が地獄谷の入口にて護摩をたき、ついに龍を下し当時奥の院の阿弥陀堂岩屋に封じ込めたといいます。
然して村人安穏に過ごす事が出来たので村の名も桜吹谷村から成仏村に改名し、山寺号も龍下山成仏寺と改称したのである。

本堂には、不動明王が安置されていて、僅かな前庭には子安大師の石像、宗派を越えた大師信仰のぬくもりが伝わってきた。

修正会の 不動化身の 鬼が舞い 岩屋に龍の ねむるぞときく
第3番
ー天台宗ー 成仏寺 除災不動
〒873-0535
大分県東国東郡国東町成仏1140
0978-76-0626

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