山岳密教の地、国東半島。
その北の玄関口とも言える真玉町は、小さな谷に赤坂川・真玉川・臼野川が流れている。
九州三十六不動霊場めぐり第6番札所の無動寺は、主流の真玉川上流の黒土村にあって、写真のように、高さ150mの大絶壁を背にして鎮まっている。
開基は奈良時代、養老二年(718)、仁聞菩薩に起因、六郷満山の中山本寺として最盛期には末寺十二坊を構え、約百名の僧侶が修行に励んだ満山中でも屈指の道場であったと住職は言われます。
古書によると、元寇の役(弘安の役1281年)に幕府は六郷満山に命じて異国降伏の祈祷を行ったが、祈祷寺十二カ寺の中に無動寺も含まれ、祈祷の道場としても寺勢を護持していたことが窺われ、その後も満山信仰に支えられ堅固に法灯を護っておられる。
さて満山信仰は、法華経二十八品に因んで開かれた二十八カ寺が、法華経の序分に当たる本山寺八カ寺・正宗分の中山本寺十カ寺・流通分の末山本寺十カ寺と分けられ、中山本寺は修行の道場に定められている。
「入峯行」は、六郷満山では最も厳しい難行苦行で、この行は十年に一度しか行われないが、国東の天台僧は、この峯入行を満行しなければ、満山寺住職として認められず、今だに不文律として大切に考えられています。
峯入りの衣装は、死装束と言われる浄衣で白頭巾に白装束、錫杖を手に草鞋ばきで国東六郷の峯々を歩く行。つまり仁聞菩薩を慕って常に不動尊の呪を唱えながら磐山をよじ登り谷を越え、法華経二十八品に因む寺院や、仁聞菩薩のあらゆる霊蹟を参拝してゆく菩薩行なのである。
そして無動寺は、満山記録所であり、この峯入りを見つめてきた場所でもある。
峯入りの行者が今にも現れそうなたたずまいの不動尊霊場であります。
御本尊不動明王は、平安期の木彫り坐像で、国東最大の尊像には自ら威力が備わり、昔から厄除身代わり黒土不動尊として崇められ、遠近信者の参詣が絶えない。
黒土の 修業の山に 身代りの 不動はおはす 慈悲の相で
第6番
ー天台宗ー 無動寺 黒土不動
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