金龍山 臨済寺 (九州36不動霊場めぐり 10番札所 )

今日から大分県。九州三十六不動霊場を逆打ちでと発願したのであるが、先日から結願地が鹿児島になっている夢を三日間連続してみたのだから、何らか訳があるのだろう。そう思って最終札所を鹿児島とした。
とはいっても、順には打たない。逆は逆打ちで今回からの大分県も逆に10番札所から巡る。

そう決めて始めた途端に北朝鮮行きの話をいただいた。

バテレンと宗麟の時代豊ノ国と称した大分市の変遷は、建久七年(1196)守護職に任命された大友能直が入国し、後裔四百年にわたる政権のもとに発展しています。
キリシタン大名としても知られている二十一代大友宗麟は、当時キリスト教や西洋文化を積極的に取り入れるなど南蛮貿易を盛んにして、現在の大分市である府内及び臼杵港には中国船やポルトガル船が入り国際都市として繁栄してきました。
後には、天下布武の政争に敗れて大友支配は終焉しますが、藩政下では府内城を中心に産業の隆盛を図り、明治維新ののちからは近代化へと大きな脱皮をしているのです。この辺りの背景はバテレンと宗麟の時代に詳しい。


 本日の巡礼地、九州三十六不動霊場第十番札所 臨済寺は、大分市南部の大道隧道を過ぎた永興山にあります。
もとは、大分川の左岸にある尼ヶ瀬村というところにあり、修験寺で天台宗法系の聖護院末大法院と称していたが、明治5年より比叡山延暦寺に属しています。明治24年には、秦 秀教上人の代に現在の地に御堂を移し金龍山臨済寺と改称。明治39年に不慮の火災に遭うも、加持祈祷の旺盛な信心によって再興し、嗣いで順応大僧正の努力によっても寺格は次第に整えられ、現在の順照和尚の代には「厄除け不動霊場」としての信仰を集めております。

さて、この度の、ご縁もそうでしょう、不動霊場を巡礼させていただいておりますと、本当に様々なご縁を頂きます。
お詣りをさせていただいておりますと、順照和尚に昨年の5月に北朝鮮に行かれた話しを頂きました。
北朝鮮にある寺院「霊通寺」の復興記念の日朝合同法要に天台宗宗務総長を団長として出向かれた件です。

その霊通寺は開城を首都とした高麗王朝の1027年に創建された寺院で、大覚国師義天が朝鮮に天台宗を開宗したことで知られる名刹。16世紀末に消失したが、4年ほど前から復元工事が始められ、平成17年10月に竣工。これを記念して日朝の僧侶にによって初めての法要が行われたのです。

ご縁というのは、次回の訪朝には同行させていただく事になりました事で、詳しくは又別の機会に記します。

さて、この周辺には見どころも多く別府周辺ならば、別府八湯でしょうか。
ここの泉質は、炭酸泉・単純泉・食塩泉などさまざまで、泉源が約4000もあるといわれえる日本を代表する温泉地であります。
別府八湯は、別府・浜脇・観海寺・鉄輪・明礬・柴石・亀川・堀田の各温泉の総称で、中でも別府温泉は最も賑わっている。夜は大変にネオンきらびやかになるであろう歓楽街も多い。流川通りは別府温泉の中心街で、江戸時代からよくしられた湯治場として現在の湯の川の両側に宿が建ち並んでいました。

別府温泉の見どころは、何と言っても地獄めぐり。
地獄とは地中から熱湯や熱泥、噴気が噴き出す場所を指していて、鉄輪温泉街のあたりに密集していて、噴き出し方によって、白池地獄・金龍地獄・鬼山地獄・海地獄・血ノ池地獄・坊主地獄などと呼ばれていて、主な地獄八カ所を巡る共通観光券が売られています。

また、近くには高崎山自然動物園もあります。
北側は別府湾に面している標高628mの高崎山を中心に約1700匹ものニホンザルが群生しているのです。
付近の農作物を被害から守るために昭和27年に餌付けしている観光地。残念ながら、立ち寄れなかったけれど何かとご縁の深まりそうな臨済寺さん。
また、写真なども追加してゆきたいと思います。

はるばると たずねて詣る 臨済寺 不動の威力 あらたなりけり
金龍山 臨済寺
大分市南大分永興十組
0975-43-4330

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。