「浅草人生 そば道場」を読んで人の腹を考えた

現代語訳「蕎麦全書」伝 腹という漢字がありますな。
部首は「つきへん」ではなく、「にくづき」で肉とか体を表してるわけです。
この部首というのは、脳・背・肺とか五臓六腑のいろいろな部分を示している漢字には、この「月」が入ってるわけです。

そこで、「腹」。この右側の「ふく」は文字どおり「ふくれた」の意味で、体の中のふっくらした場所が「腹」というわけです。

そして我々は「腹」を「おなか」と言って、体の中心と言うほど大切にしていますな。
腹をこわせば飯も入りません、何か力も湧かないから、温めてみたりいろんな事をします。
はたまた「腹に一物」と言うことや「腹を探る」とか「腹を固める」「腹を読む」などの諺のような物事を考えているところのようにしている所、つまり「こころ」があるところと考えて「お」をつけて尊重しているようなわけです。

今回ご紹介する書籍の著者は駒形蕎上人店主の平沼孝之氏。

本書の根底に流れているのは一種の応援歌であろうと思われます。

その対象は今年の2007年問題とか大量定年時代を控える団塊世代、リストラにあったサラリーマン、あるいは流行らないソバ店主だったりと、要は、著者は蕎麦打ちの楽しさ、蕎麦店経営の魅力を通して、時には熱く、時には冷徹に語ることで、再チャレンジのひとつの選択肢を示してくれている。

現役の蕎麦店主が語るそば論は、特にその経営論に実践的な迫力を見せる、著者の人生の歩みが腹の底からさらけ出されてる、とても説得力がある一冊といえる。

「腹」のことは「おなか」体の中央の大切な場所として尊重するなら、体の終わりの方は「おしり」。
しりとは、末端のことですから場末。ついでにおなかの上の方は「むね」。ここは心臓のある主たる場所。
ムカシの人は腹のなかに心があると考えて大切にしてきました。胸に手を当てて考えるが、腹は心、心は腹なのです。

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