有明海から国道444号線を鹿島市内へむけて走ると札所が見えてくる。
車を止めて境内を歩き始めると、併設されている、誕生院保育園の園庭の方から一所懸命さが伝わってきました。ハーイ!という元気なお返事が聞こえてきたためです。
霊場を巡っていると、このような周囲からの影響力に触れられる機会があって、これも小生の霊場巡りの楽しみとしているところなのですが、これと似たような経験で、「漸く(ようやく)やっと」とおもえる瞬間もあります。
随分前の記憶。これが偶然に通りかかった場所で蘇ってくるのはデジャブにも似ていて、様々な瞬間に訪れるからこれも楽しいのだが、時折、アレ?どっちの世界かなあ、なあんて思う事もある。
それは今回のように境内に入った瞬間であったり、様々なんだけど、何か土地が持っている性格とか性質みたいなものがあって、それが園庭の一所懸命な園児たちを育てているのかと思った。
それもそのはず、この御寺院は、言宗の中興の祖である興教大師 覚鑁聖人の生誕の地に建てられた寺院。
聖人様の誕生された場所なのだから、素晴らしい園児も育つに違いない、そういった意味からも小生、なおも漸く故郷に帰らせていただいたかの様に思えてきたのです。
今回は、まずこちら誕生院のご紹介を、パンフレットから引用して、その後に、あるお地蔵様のことを記します。
春は桜に藤つつじ 夏は青葉に風薫り 秋の紅葉に冬の梅 錐鑚不動の御霊場
このような季節の移ろいを、花とともに四季折々に楽しめるなごみの里、誕生院は、興教大師の誕生の霊蹟であります。誕生院の沿革は次のように記してあります。
誕生院は、真言宗の中興の祖であり、新義真言宗の開祖である興教大師覚鑁聖人の生誕の地に建てられた寺院です。後亀山天皇の明徳年中足利三代将軍義満公の発願により、後小松天皇の応永十二年沙門定成上人によって創建されたもので、堂塔完備の大伽藍であったことが想像されますが、戦国時代永禄元年兵火に罹って廃城。以来、鍋島直条公をはじめ、輪海法師、百城律師など相継いで復興に努力されたが成らず、廃墟のまま只「誕生院」の地名と「覚鑁上人」の名称が伝えられるのみでした。大正に入り鍋島直彬公が「一宗の開祖と仰がれ全国にその尊影を奉祠される覚鑁聖人は、我鍋島の立身であり九州立身宗教家として唯一の大師号保持者である。この上もなき郷土の誇りである。誕生の遺跡を顕彰せねば」との思召で、大正二年漸く復興の大事業を完遂。聖人が御入滅された紀州根来山より錐鑚身代不動明王の御尊霊を御本尊としてお迎えし、弘法大師、興教大師の尊像を安置して、金堂、鐘楼堂、書院等竣工、新義真言宗大本山密厳山誕生院として法燈輝き、香煙縷々として絶えることなく今日に至ります。
興教大師覚鑁聖人は、弘法大師の教理を継ぎ、高野山を復興し、新義真言宗を開かれ、学問のほとけとして全国に祭られ仰がれている御方です。業績も世に一密成仏、浄土信仰、念仏信仰を残され、世の人々を救うために、諸人に代わって一切の罪を懺悔し、諸人に代わって苦悩を受けるという御誓願は、私たちにとって闇路を照らす大燈明であり、慈父の大愛にまさる大慈悲であります。
本尊 錐鑚身代不動明王は、興教大師の身代わりになって木造でありながら人間の生き血を流された御方で、今なお霊験あらたかにして末世の私たちのために身代わりとなり、大難は小難、小難は滅消へとご利益を導いて下さる大慈悲あふるるお不動さまであります。もともとは、和歌山県の高野山にお祀りしてあった尊像を根来寺に移した後、大正時代に誕生院が復興する際にお招きしたと伝えられ現在に至ります。
御朱印をお願いしてから、お不動様へのお詣りの後、ご住職と奥様へのご挨拶をいたしますと、本堂の右側におられるお地蔵様にご案内いただきました。
いつの日からか、目から涙を流されるようになり、多くの方々により慈悲深きお地蔵様として信仰されているとの事。暫く前に座らせていただいておりますと、地蔵和讃の一節が鮮烈に頭をよぎったのです。
これは、先日の講演会にて山本集氏が「死んでいった者の為にも一所懸命に生きる」といったフレーズで熱く語られていたのに感動して小生の頭に残っていたからでもありましょう、いかにも小生らしくずれているようにも思うのですが、その一節というのは、ここは冥土の旅なるぞ 娑婆に残りし父母は 今日は初七日、二七日 四十九日や百箇日 追善供養のその暇に ただ明け暮れに汝らの 形見に残せし手遊びの 太鼓人形風車 着物を見ては泣き嘆きという部分でした。
小生の友人にもすでに百箇日は過ぎていたり、もう何回忌もこようかとする故人もあり、この地蔵和讃は子をモチーフにしているのではないけど、やはりその彼の人生まで生きようとしたことも思い出せたのです。
西の川原(賽の河原)地蔵和讃
帰命頂礼地蔵尊 無仏世界の能化なり これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる さいの河原の物語 聞くにつけても哀れなり この世に生まれし甲斐もなく 親に先立つありさまは 諸事の哀れをとどめたり 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬおさなごが さいの河原に集まりて 苦患(くげん)を受くるぞ悲しけれ 娑婆と違いておさなごの 雨露しのぐ住処さえ 無ければ涙の絶え間無し 河原に明け暮れ野宿して 西に向いて父恋し 東に向いて母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とは事変わり 悲しさ骨身を通すなり げに頼みなきみどりごが 昔は親のなさけにて 母の添い寝に幾度の 乳を飲まするのみならず 荒らき風にも当てじとて 綾や錦に身をまとい その慈しみ浅からず 然るに今の有様は 身に一重さえ着物無く 雨の降る日は雨に濡れ 雪降るその日は雪中に 凍えて皆みな悲しめど 娑婆と違いて誰一人 哀れむ人があらずなの ここに集まるおさなごは 小石小石を持ち運び これにて回向の塔を積む 手足石にて擦れただれ 指より出づる血のしずく からだを朱に染めなして 一重つんでは幼子が 紅葉のような手を合わせ 父上菩提と伏し拝む 二重つんでは手を合わし 母上菩提と回向する 三重つんではふるさとに 残る兄弟我がためと 礼拝回向ぞしおらしや 昼は各々遊べども 日も入相のその頃に 地獄の鬼が現れて 幼き者の側に寄り やれ汝らは何をする 娑婆と思うて甘えるな ここは冥土の旅なるぞ 娑婆に残りし父母は 今日は初七日、二七日 四十九日や百箇日 追善供養のその暇に ただ明け暮れに汝らの 形見に残せし手遊びの 太鼓人形風車 着物を見ては泣き嘆き 達者な子供を見るにつけ なぜに我が子は死んだかと 酷や可哀や不憫やと 親の嘆きは汝らの 責め苦を受くる種となる 必ず我を恨むなと 言いつつ金棒振り上げて 積んだる塔を押し崩し 汝らが積むこの塔は ゆがみがちにて見苦しく かくては功徳になりがたし とくとくこれを積み直し 成仏願えと責めかける やれ恐ろしと幼子は 南や北や西東 こけつまろびつ逃げ回る なおも獄卒金棒を 振りかざしつつ無惨にも あまたの幼子睨み付け 既に打たんとするときに 幼子怖さやる瀬無く その場に座りて手を合わせ 熱き涙を流しつつ 許したまえと伏し拝む 拝めど無慈悲の鬼なれば 取り付く幼子はねのけて 汝ら罪なく思うかよ 母の胎内十月の内 苦痛さまざま生まれ出て 三年五年七歳と わずか一期に先だって 父母に嘆きを掛くること だいいち重き罪ぞかし 娑婆にありしその時に 母の乳房に取りついて 乳の出でざるその時は 責まりて胸を打ち叩く 母はこれを忍べども などて報いの無かるべき 胸を叩くその音は 奈落の底に鳴り響く 父が抱かんとするときに 母を離れず泣く声は 八万地獄に響くなり 父の涙は火の雨と なりてその身に振りかかり 母の涙は氷となりて その身をとずる嘆きこそ 子故の闇の呵責なれ かかる罪とがある故に さいの河原に迷い来て 長き苦患を受くるとぞ 言いつつまたもや打たんとす やれ恐ろしと幼子が 両手合わせて伏し拝み 許したまえと泣き叫ぶ 鬼はそのまま消え失せる 河原の中に流れあり 娑婆にて嘆く父母の 一念届きて影映れば のう懐かしの父母や 飢えを救いてたび給えと 乳房を慕いて這い寄れば 影はたちまち消え失せて 水は炎と燃え上がり その身を焦がして倒れつつ 絶え入ることは数知れず 峰の嵐が聞こえれば 父かと思うて馳せ上がり 辺りを見れども父は来ず 谷の流れの音すれば 母が呼ぶかと喜びて こけつまろびつ馳せ下り 辺りを見れども母は無く 走り回りし甲斐もなく 西や東に駆け回り 石や笆リの根につまづきて 手足を血潮に染めながら 幼子哀れな声をあげ もう父上はおわさぬか のう懐かしや母上と この世の親を冥土より 慕い焦がれる不憫さよ 泣く泣くその場に打ち倒れ 砂をひとねの石まくら 泣く泣く寝入る不憫さよ されども河原のことなれば さよ吹く風が身にしみて まちもや一度目をさまし 父上なつかし母ゆかし ここやかしこと泣き歩く 折しも西の谷間より 能化の地蔵大菩薩 右に如意宝の玉を持ち 左に錫杖つきたまい ゆるぎ出てさせたまいつつ 幼き者のそばにより 何を嘆くかみどりごよ 汝ら命短かくて 冥土の旅に来るなり 娑婆と冥土はほど遠し いつまで親を慕うとぞ 娑婆の親には会えぬとぞ 今日より後は我をこそ 冥土の親と思うべし 幼き者を御衣(みごろも)の 袖やたもとに抱き入れて 哀れみたまうぞ有難や いまだ歩まぬみどりごも 錫杖の柄に取り付かせ 忍辱(にんにく)慈悲の御肌(おんはだ)に 泣く幼子も抱(いだ)き上げ なでさすりては地蔵尊 熱き恵みの御涙(おんなみだ) 袈裟や衣にしたりつつ 助けたまうぞ有難や 大慈大悲の深きとて 地蔵菩薩にしくはなく これを思えば皆人よ 子を先立てし人々は 悲しく思えば西へ行き 残る我が身も今しばし 命の終るその時は 同じはちすのうてなにて 導き給え地蔵尊 両手を合して願うなり 南無大悲の地蔵尊 南無阿弥陀仏阿弥陀仏
差し出がましいのですが、ここに地蔵和讃を引用させて頂きました。
信じて、努めて、思慮深い心を持つ。
そして心を統一して、明らかな智慧を持つ事も意識したい。
いま、この様に思えてきた五つの力である。そうだ、もうすぐ五大力さんだ。
第24番
ー新義真言宗ー 大本山 誕生院 錐鑚身代わり不動
〒849-1312
佐賀県鹿島市納富分2011
0954-62-3402