ボランティア会議に必要な3つのエッセンス

人の己を知らざるを患えず
これは孔子の言葉で、「人を知らざるを患うる也」と続く論語であります。

この一文に触れたのはもう6年前になりましょうか、その頃はもボランティア関係において他の方とお話しをするような機会が多く、大勢の方たちとボランティア事業を通したまちづくりをしておりました。

そのころに、人には細やかなことまでもが見えるというのに、自分のことは見えていない事を学ばせていただいていて、そんな事などもう身に付いていたつもりが、やはりツモリハツモラズ。
昨日は全く持ってこれの再現でありました。どうも批判的に見ていたようで、今、反省しております。

しかし、この様な自省ばかりで実際には何の役にも立たず、上手く行かせてナンボ、成果にしなくてはなりません。成果の獲得や達成、また次の目標が得られないなら、その時間は自分もその参加者も成果を得られないわけで何よりも勿体ない。

そこで、今回からは本日の反省を活かしつつも成果を得る方法、また、いかにその組織を説得して動かせることかと言う点を探偵的な視点も取り入れながら記して行こうと今回のようなタイトルで記している次第です。

さて今回のような場合、タイミングをつまむ事や、人間を判断して把握しておくこと、また、相手の本音を見抜くなど、およそ3つくらいのことが考えられてくるのだけど、昨日はこれらが全く出来ていなかった。

そこでまず表面的てサラッとした関係性、ちょうど今回のような第一回目の会議に当てはまるようなことを記し初めてみましょう。

まず今回のように初対面の人も多いような場合、人の気分や息遣いにも現れているような雰囲気といったものを感じる必要があります。つまり、場の雰囲気で「その場の雰囲気が良い」とか「盛り上がっている」、「和気あいあい」も最初のうちなら良いのだけど、もしもその場の参加者全てが互恵の関係にあれば、説得する方もされる方も、また実際に動かせたり動かされたりするのも満足ができるものなのです。
だが、そうは簡単にいかない。

先にこの雰囲気の答えを記すけれど、これは今日の会議なら、絶妙のタイミングで発言されたこの事業への想い(ビジョン)に、参加者が共感(エンロール)された事に、一つ目の極意があった。
ここに議事録を記す事は出来ないけれど、事業に対する想いは主催者側は勿論の事、事業の立案をする側にも、事業に携わるものにも、また何れ全ての参加者にもあるもので、「人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うる也」と小生のように意気盛んで事業達成における成果について躍起になっての説明ばかりに終始しているのでは、場が興奮こそすれ、安定して成果を得るような事にならないのです。

しかし、この事業達成の命運をになったというべき方向性ある発言は、時にそのような険悪な雰囲気の中から生まれてきて、見事な成果物となりえる結果を導くのです。それはたとえば、次に記す場から発せられるのかも知れません。

  • 反対意見が強すぎる
  • 何とかしなければならないという想いが高まっている
  • どうしようもない状況

この様になりますと、さらに良い発言をとあせり始めているような時では無い。
もう本当にどうしようもなくって、意図と方法で言う「方法」についての発言など出尽くしているような状況、この時に皆が喜びを得ることが出来るという確信のような意識ある人物から、突然と場を変化させる想いが伝えられて共に共感するのです。

つまり、ボランティア組織を上手く動かせるには、その根本に互恵の共感というべき和気あふれる関係のイメージがまず必要なのです。この関係が実に「相互リンク」のようにも思える方も多いだろうけど、そうではなくって、もう少し二次元、三次元的な関係を意識してゆく事に、これは貴方流の極意が見えてくるのではないだろうか。

ここまで、その場の雰囲気を変化させるような機転となる発言について私感をもって記しました。
これは、そもそも仕事に就いての関係においても、お金による関係性が強く、それでさえ人の心というのはままならず、まして心をとらえたり、または動かしたりというのは最も難しいことです。

この冒頭で重ねて記しおきますと、ボランティア組織における人の心というのは、ヘタをすると個々人の利害関係にまでその範囲が広がって、とんでもない範囲にまで個人的な被害が広がる可能性すら生じる場合もあるからこそ、基礎的な段階で、事業の持っている魅力は勿論、その舞台が持つ魅力や地域への影響などを含めて得られる可能性などを含めた互恵の共感を得ることが必要となってきます。

事業という共通の山に向かって下山するにしても、人は自分の意思で動くから、また共に動かないと色んなリスク要因が高まるだけではなくって、成果物も共に共感できないのだから、縦の人間関係と横の人間関係をキチンと押さえて法を説く事が大切であって、人を説得したり動かせるには相手の心を知ることが最も重要でなのです。

そして、自分の心を知ることももちろん大切なことなのだけど、それをして相手の心を知り、互恵の共感(この様に書くと何か怪しい宗教のようだが小生の造語です)をつくりだすには日頃から相手の心を知ろうとする観察眼を磨くことが大切になってくる。

これは、まあ我々探偵のような人種がどうやって人を見ているのかをご披露することでも良いけれど、あまりにも広範囲となりますのでこれはまたの機会にして、わりと有名な「二人のちがい」について記しましょう。

駅のホーム。あなたは応援要請された警察官です。ホームに駆けつけたとき怪しい男が二人立っているが、どちらが鉄道警察隊の私服警察官なのか判らない。しかしこの二人のどちらかはスリ、そしてもう一人の方はスリを追っている私服警察官なのだ。二人は目の前でも早く判断して助けなければならない。しかし警察官の貴方はその私服警察官と面識がないのだ。さてどうやって見分けるか。

これの見分け方は簡単。その二人の目動き方を観察すれば判るのですね。
いつも周囲に誰がいるのか、警察官ははいないかと周囲を気遣っているから目がキョロキョロと動いているのがスリ、これに対して私服警察官は、この男に狙いを定めているから視線はピッタリ定まっているから、スリの目、手の動き、脚の動きを中心に見ているから、およそ縦に動いている。
目が横にならスリ、縦なら警察官というわけだ。

しかし、最近では警察官も一つの事件だけに目を向けているわけにも行かない多忙さだから横に動くことも多い。また、スリの方も一点集中型が多くなっているからお目当てに視線がピッタリ離れない事も多い。目の動きも全く逆になっているような時代、この例え話は全く役に立たなくなってきたものだけど、会議などにおいては、正面に座る人や横に座る人など、それぞれに意味合いがあること等はあまりにも広く紹介されていて、あえて正面に座ったり横に座ったりと応用する輩など当然のごとく一人や二人紛れ込んでいると想ってまず間違いないのだから、もとの場を感じるところにミソがあるともいえる。

ミソと言えるのは会議などにおいても、意識して目を見る事によって何かに集中しているのか、また他の意見をみつけているのかなどが分かってくるので、注意して見てみるのも良い。

 たとえば司会が議事進行をしているとして、しっかりと司会をみていれば議事進行に対して、良くも悪くも収集しているだろうし、司会ではなくって外ばかり意識していたり窓の外を見ていたりすれば、自ずと疑似に集中しているとは言えないだろう。

 こんな簡単でもそうだけど、本格的に目で判断する事が出来るNLPといった手法もある。
 もしこのNLPについての興味が有ればFBIや警察官も取得していて犯人の取り調べにも、応用されているプログラムだから何らかの役に立つだろう、この技術を取得するには少々時間がかかるが、ここで紹介している書籍なら入門書として適切だ。

ロバート・ディルツ博士のNLPコーチング style=

ただ、この様に説得する必要がない相手だとしてもやはり把握しておくことは必要であって、後になれば、とっても重要な要素を含む人物になる可能性もあります。だからこそ、前回から記しているような場を変化させるような自分自身の想いづくり、互恵の共感などもあるけれど、相手を見るときには、相手にある「縦」と「横」の両面を見ることで、随分と把握できる深さや広さにが現れてくるためです。

さてここで、いかにもあり得そうな例えを記してみる事にしましょう。

ボランティア組織で話し合いをして、自宅に帰ると中心的存在にある、Kさんからの電話です。
その電話であなた(Sさんとしましょう)は重要な役をKさんから頼まれました。

そしてあなたは、「ついに俺はこんなにも重要な役を頼まれた」と歓喜して二つ返事で引き受けるわけです。

しかし、その重要な役をこなすには、メールを送受信する必要がありそうなのに自宅にはネット回線がない。そこで家族の了承を取り付け、自分のお小遣いの範囲でフレッツとか光回線とかで開設した。

ところが、ここまでに連絡しておかねばならない人物がいました。
その事に気づいたのは、あなたにこの役を頼んだFさんで、同じ経験や立場にあるYさんへの了承を得る事なく、あなたにお願いしていたのでした。

そこで早速、FさんはYさんのところへ行って説明をしようとするのですが、Yは、はじめから重要な役を受けるために来たのだと決め込んで「わしでは役不足ですがお受けしましょう」と一方的に乗り気になってしまいました。

さらにFさんは、もうすでに、貴方に頼んだこと、また、貴方がこの役を引き受けている事をYに知られる「わしを差し置いて」などと言いかねず、またそうなれば、貴方にも迷惑がかかると思って、そうと伝えられず帰ってきたのです。

当然、Fさんは貴方に詫びます。そして「Yさんなら適職じゃないですか、なかなか役を受ける人じゃないのに良かったじゃないか」と言って許すのです。

さて、この例え話は、結果として貴方の人柄に救われはしました。
金銭的にも自宅に取り付けたフレッツとか光回線の工事料で済んだので、自宅でインターネットをするには良い機会だと捉えることも出来ましょう。

しかし、「これはひどい」と貴方に並列となる関係や、貴方の上に立つ方、又は慕っているような方も同じように良かったじゃないですかとはならない。

こうした関係は、ボランティア組織でなくとも一般的な人間関係にも多く見られるのだけれど、相手の立場を漠然とつかんでいる状態でなくって、常に関係を深めてゆく必要があるのです。
そして、この様な依頼をする関係や、その他の交渉を行うにあたっては重要となる縦や横の関係を相手の立場から把握しておく事が大切とも言えましょう。

もちろん人間関係は、縦関係や横関係だけで成り立っていません。
だからボランティア組織では相手の立場で縦と横の関係を充分に把握して、それをどう利用させていただけるかを常に考える事。これが互恵の共感を得るために重要なエッセンスといえましょう。

さてここで、Sさん(貴方の設定でした)について軽く振り返っておきます。

これは、縦と横の関係というのは充分に把握した上で、さらに相手の立場で考えることを行わないと、取り返しがつかない事にもなる事が考えられるからで、前回のような状況ならば、貴方に頼んだ側(Fさんの設定でした)について、今後一切の機会は失われてしまう可能性もあるのです。

なぜならば、今後あなた(Sさん)は、Fさんとのことを思い出すでしょう、そして頼み事をされてもきっと躊躇したりするでしょう。さらに、他の誰かに同じような頼み事をするのを知ったとき、それが貴方にとっての縦であったり、横の人脈関係にあったりすれば、何らか警告のようなその人に伝えたりするのかもしれません。
つまり、Sさんの立場でも、頼んだFさんの立場にも結果として良い関係は生まれないのだから、これが起こりうる可能性には、その実行までに十分な配慮をしていおかなければならないのです。

さて、今回までの2回ではこの様なエントリーと共に「発言のタイミングや想い」や「タテヨコの関係と配慮」について記してきましたが、今回はこの締めくくりとなるべく「組織に存在している人物のオポチュニティ・コスト」を考えてみようと思います。

オポチュニティ・コストとは、機会原価という特殊原価の概念ですが、まず は-RYUmaruo.com-でとてもうまく説明されていたので長文を引用させていただきます。

“オポチュニティコスト”とは、簡単にいえば「『一時間』という時間の使い方を比べて、経済的に『ヘボイ使い方』をしたなら、その分『稼げていたはずの分』はコストとして考えろ!」という考え方。

で、この談合坂のガソリンスタンドの話。Aさんは「1時間待ち」でもガソリンを入れようとしています。満タンにしたら、地上に比べて1000円安いそうです。さて、Aさんは、本当に得するのでしょうか???

もし、Aさんが普段働いているときの時給が1000円以上だったら、アメリカのビジネスの世界では、Aさんは決して得をしたとは言いません。完全に「負け」です。なぜなら、Aさんは、その時間を使って(休日なのはさておき)1時間‐1000円以上の価値を生めたはずだからです。

金銭的なことだけとは言えません。Aさんとその家族は、この1時間を談合坂で過ごしてしまったために、このあと河口湖で見るはずだった夕陽のタイミングを逃したとします。それも大きなオプチュニティコスト(機会損失)といえます。家族と見る素晴らしい夕陽は、明らかに1000円以上の価値があります。

オプチュニティコストという概念は、日本ではあまり語られることはありません。だから会議などでも、無駄な時間が多いのです。

日本では語られないオポチュニティコストより引用

人を説得したり、動いていただくためには、まずその相手のことを知る必要がある事については以前にも記しました。それはその上にこそ構築されるであろう互恵の共感がある関係をつくり出すためです。
この関係を創出してゆくに当たって必要なのが、今回記したいオポチュニティ・コストに関する考え方なのです。
但し、先に誤解の無いように記しておきますけれど、これは自分のためのオポチュニティ・コストではなくて、組織に存在している相手のオポチュニティ・コストへの考え方を持つことのすすめなのです。

オポチュニティ・コストとは、今回の機会を得るために失ったすべてのものです。
たとえば先日、小生は当日のボランティア会議に参加する為に、集合時間に合わせて一日を過ごしていた訳です。具体的に言うなら夕方以降の予定は入れていませんでした。
しかしもしこの時間帯に来て欲しいという依頼があったとして、その依頼料が50万円だったとしましょう。だけどこのボランティア組織に参加する機会は、大きなチャンスだからと、いろんな損得を考えたのち、結局は参加して更に帰り道には食事に行って2万円ほど支出しました。

それじゃ今回参加することによってかかったコスト計算をしたらいくらと考えるかなのです。
つまり、0円なのか52万円だったのかです。

そしてここで大切なのは、これは相手のオポチュニティ・コストであるため、相手がこれについて腹を割って話すなどしてくれないと分からない背景事情だと言うことで、ボランティア組織などの活動に限らず、現実的な人間関係においても一般的には相手の腹の奥深いところにあるもので、ドロドロとした人間関係が生じる最多的原因の根源ともいえ、大抵の場合だれも腹を割った話などしてくれるものではありません。
この様な考え方が理解出来ていないのに、ボランティア組織だからと簡単にお願いしてしまっては、相手の本音も見抜けていないからリスクが内在していて、結果として崩壊を招く組織になってしまう可能性が高まってくると言うわけです。

つまり、何らかの目的を会議の中で果たして行こうとするならば、やはり相手の腹を読んで先回りをしておく必要があるのです。表面的に見えている穏やかさの中にも、他のボランティアなどを受けていて時間がない生活をしている現実があるのかも知れません。この方にはオポチュニティ・コストの考え方は当てはまらないでしょう、むしろボランティア活動の整理をすべきですからお願い事をすべきではありません。
ちょっと無理してと言う考え方や、モチベートの仕方もありますが、このようにお誘いするとしても相手のオポチュニティ・コストを十分に検討してからの方が良いでしょう、人がいつまでもそうやった事による理解をして行動したとしても、いつまでもそう思えているかどうかの保証はありません。
まして心の問題は余りにも理屈で割り切れるようなことが多いものです。

ですから、その方の表面的な表情や発言の向こうにある相手の本質(相手のオポチュニティ・コスト)を見て差し上げる事こそ、今までのエッセンスの中においても一番重要なポイントではないかと思えるのです。
「そんなことなら、やらなければ良かった」「こんな結果を求めていたのではなかった」などと、もしもあなた自身が耳にしたことがあるとすれば一度これらの見直しをした方が良いのかも知れませんし、又、これが先日、小生の参加させていただいた第一回目のボランティア組織の会議における反省点とも、また今後改善してゆきたいポイントでなのです。

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