霊場巡拝の中で、ひとつの楽しみとも言えるのは法話。
ご住職にお出会いをさせていただけて、更に仏教の教えなどをお話しをいただける事にあります。
この機会は小生にとって、また、巡礼にお連れする方には迷いや悩みをお持ちになっている事が多く、本当にこの法話を頂いた事によって、もう気づかれるというかスッキリとされる事もあって、こうなったときには小生も嬉しくて飛び上がったりする。
さて九州三十六不動霊場は、小生一人でまわっているのですけれど、こちらの御寺院にて霊場についてのお話しを頂きましたので、小生の夢というか一つの目的をお話ししてみました。
今回はこのあたりを記してみます。
ご存じの方も多いのですが全国の不動尊霊場は、以前のエントリーに記したように全国に12カ所あります。
今回、なぜ九州不動尊霊場を巡っているのかとの点を尋ねられましたので、全国のお不動さんの霊場巡礼が巡りたいのかという事をお話しさせていただいたのです。
つまりは、「いつでもどこでも誰からでも学び取るほどの謙虚な姿勢で行こう、とは小生の基本的スタンスですが、やはりいつも起伏やブレが生じています。
小生にとって霊場とは、生きることへの感謝とその感謝の気持ちを常に起伏なくブレさせずに尚生きさせていただけるところ。そんな決意に似た思いを持たせていただけるのが不動尊霊場であるためです。」などとお伝えしたというわけです。
それではと次のようにお話しを頂いたのです。
もしもあなたにブレが生じるとき「空を見なさい、海を見なさい、そうすれば如何に自分が小さいか判る」。そしてその自然と一体になる。そうすれば自分が小さな存在でも大自然と一体になるから広大無辺の大宇宙と自分自身にも無限の広がりを持つことが出来る。
こうお聞かせいただき、更に続けて、人一人の存在は小さいけれど大きい。だけれども、その人の命とて自然の時の流れから見れば、まばたきするほど短い。その差に気づけるところに悟りがある。とお話し頂いたのです。
ただお聞かせいただいても所詮は凡夫の身、このように理解したように思いました。
「自然と一体になって、その豊かさと宏大さを共有することで、その中に身を置く我を見たとき、そこには差があって、それに気づけば、それ即ち悟りである」と、そう理解させていただくに留まりました。
ただ改めて自然に目を向けてこの巡礼を歩もうと思いなおしたのではありますが、いくら自然に身を置いて難行苦行を行ったとしても、これからは真の悟りを得られないように思えます。
たとえば御滝に数回打たれてきますと、様々と敏感になってくることもあります。
また、山に入って真っ暗闇の中でひとりおりますと、普段聞こえないような音や、聞こえるはずのない人の声も聞こえてくることがありますが、これら自分自身の神経を研ぎ澄ましてゆくことと、仏教で言う悟りとは違う物だと思うわけです。
本当の意味で、ゆったりとした気分で自然と一体になる、その時こそ本質的な悟りの状態を得ていると言えるのだと思う。そしてこの状態を目指すことこそ上質な生き方と言えるのではないかと思うわけです。
第29番
ー天台宗ー 真光院 きぼた不動
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