諸仏不動智

昨年の11月には別れを、そして12月には縁を感じた前回のエントリーから早、年も明け2007年1月。
本日は年明け初めての生駒山 寳山寺への月参りです。

小生、この三ヶ月でようやっと落ち着いてきたかのようには見えますが、まだお不動への信仰が足らないなあ、などと、実のところもうひとつの元気がありません。
そこで何かお不動さんの書籍はと探しておりますと、久々に沢庵和尚の不動智神妙録が目に留まりました。そしてなにげに開くと「諸仏不動智」のページ。今回はこの件について記してみます。

さて、ここでいう「不動」とは動かないということ、「智」は智慧の智です。
ただ動かないとはいっても、岩や木々のように、全く動かないというのではありません。

心は四方八方、上下右左と自由に動きながら、一つの物、一つの事には決してとらわれないのが、ここでいう不動智というわけです。

ご存じ不動明王は、右手には剣を握り、左手には縄を持ち、歯をむき出し眼は天地を向いて睨みをきかせ怒りまくっています。仏法を妨げようとする悪魔を取り抑えようとされているのですね。

ところが、一つの事にとらわれると、この忿怒相に恐れるだけで、仏法の妨げになるような事だけは決してするだけに留まり、人々を救済しようとするやさしい慈悲に気づくことも触れることも出来ないのです。そして、一般的な生活の中でも何かに心がとらわれていると、様々な臆測や葛藤、疑念、猜疑心が胸の中で、また顔の表情などに表れてくる。そんな時は本当に自分自身嫌気がさしてしまうこともあります。

この様なときは、自分の心がとらわれている時と言えましょう。
心がとらわれているという事は、一方で心を動かそうとしても動かない状態でもあり、自由な心でもありません。そして、このように心がとらわれているような時に限って、また新たな出来事や問題、障害が重なって現れてくる様なこともあります。

これは小生の経験にもありますが、いくらその様な事になっても、一つの問題を解決したら、次というように、こだわりなく、どんな事柄や問題にも同じ気持ちでこなすなら、いくら重なって来たとしても、全てを難なくクリアすることが出来ました。

ところが、どうしてもこだわってしまって、その出来事に心を奪われたまま、いつまでも9494として新たな問題が生じていても、それに気づかないことすらあります。

これを上手く乗り切る方法を、沢庵和尚は諸仏不動智をもってこのように明快に記しておられましたので引用してみましょう。

 千手観音とて手が千御入り候は弓を取る手に心が止らば、九百九十九の手は皆用に立ち申す間敷。一所に心を止めぬにより、手は皆用に立つなり。
 観音とて身一つに千の手が何しに可有候。不動智が開け候へば、身に手が千有りても、皆用に立つと云う事を、人に示さんが為めに、作りたる容にて候。
 仮令一本の木に向ふて、其内の赤き葉一つを見て居れば、残りの葉は見えぬなり。葉ひとつに目をかけずして、一本の木に何心もなく打ち向ひ候へば、数多の葉残らず目に見え候、葉一つに心をとらえ候はば、残りの葉は見えず。一つに心を止めぬば、百千の葉みな見え申し候。
 是を得心したる人は、即ち千手千眼観音の観音にて候。

これは、まさに「千手観音」の不動智であります。
千手観音だとて、手が千本おありになるけれど、もし、弓を持っている手に心がとらわれてしまえば、残りの九百九十九の手は、どれも役には立たない。一つの所に心を止めないからこそ、千本の手が皆役に立っているのです。

観音様が、なぜ一つの体に千本もの手を持っておられるのかの明快な答えなのです。
つまり不動智を身につけることが出来れば、たとえ体に千本もの手があったとしても、立派に使いこなせるのだということです、この不動智を人々に示すために作られたお姿であるといえるのです。

たとえば、一本の木を見ているとしましょう。そのなかの赤い葉一枚に心を止めて見れば、残りの葉は目に入りません。しかし葉一枚一枚に眼を止めずに、木の全体を何と言うこともなく見るなら、たくさんの葉が全部目に入ります。

一枚の葉に心をとらえられれば残りの葉は見えないのです。しかし、一枚の葉に心をとらえられることがなければ、何千枚の葉だろうと、すっかり見えるのです。

このことを悟った人は、つまり千手千眼の観音と同じと言えるのです。

ここ暫くのお不動さんの縁日。
その縁日の度に、ここ宝山寺にて変化がありました。
それぞれをテーマー表すなら11月は「別れ」、12月は「ご縁」でした。
そして今月は、もちろん、この様な悟りの境地などに至れぬ所ですが、「手が千御入り候は弓を取る手に心が止らば、九百九十九の手は皆用に立ち申す間敷。一所に心を止めぬにより、手は皆用に立つなり。」との一文にハッと我に返ったような気持ちになれたというわけです。

さて、今日2007年1月28日の月参り、一体どのようなテーマにすればよいのやら。

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