本日は札幌への出張。着いたとき最近では珍しい大雪になっていたから、冬底の革靴にすれば良かったなどと後悔しつつも、まずは北海道神宮にお詣り。
円山公園駅を降りると既に積雪は膝くらいまであったから、この靴が皮の底でまるでスリックタイヤのごとくツルツル滑って恐ろしい、年間、薄野の街で数十人は転倒してなくなってるのだと聞いたことを思いだしたから、全体重を足の裏にかけ直して参道を歩んでゆく。
「古神道は、真水のようにすっきりとしている」と司馬遼太郎の著書この国のかたちにそう書いた。
北海道神宮の歴史はそう古くはないが、この一節を思い出したのは、ここにある自然によるものだ。
神宮の境内には、杉や檜をはじめとしてオンコ・カシワ・ナラ等の針葉樹や広葉樹が混在していて、この雪化粧の中にも緑による澄んだ空気を醸し出されている事による。
すれ違った人に話を聞くと、野生の動物も多くエゾリス・キタキツネなども見かけられ、また、アゲカラ・キビタキ・エナガ・ヤマガラ・ヒヨドリ等の野鳥が飛び交っているとの事だから、まるで小動物の楽園。この空間に同化させられるだけでスッキリとなれるのでした。
そして、「また春に」とお勧めいただいたのは、この神宮のサクラによるからで、エゾヤマザクラ、ソメイヨシノ、ヤエザクラ等、約1400本もあるからで、季節は五月だから、京都の仁和寺が済んだ頃に、仕事が入ると嬉しいものだけど、これは神頼みに値しないな。
さて、神宮の歴史は、明治四年に「札幌神社」として現在の円山の地に社殿が造成されていて、祭神は開拓三神。北海道神宮に改称すると同時に明治天皇を増祀して祭神は四柱になっている。
ゆえに、こちらにてお分けいただける「神拝詞」には、祓詞、北海道神宮神拝詞、神棚拝詞、祖霊拝詞、大祓詞と記されているが、続いて「教育勅語」が記されている。
今日の参拝を通して感じたことに通じることが多くここに口語訳を引用しておきます。
私は、私達の先祖が、遠大な理想のもとに、道徳国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして自分の行動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。そしてこれらのことは、善良な国としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私達の先祖が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国に行っても、まちがいのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
– 国民道徳協会訳文による –
父母ニ孝ニ(フボニコウニ)、誠の心を持って、子が親に仕えること、兄弟ニ友ニ(ケイテイニユウニ)、兄弟姉妹は仲良くすること、夫婦相和シ(フウフアイワシ)、夫婦は互いの敬愛の心を持って睦まじく、朋友相信ジ(ホウユウアイシンジ)、互いに真心を持って信じ合い、友人は互いの誠の心を持って交わり、恭倹己レヲ持シ(キョウケンオノレヲジシ)、他人に対してはうやうやしく、自分自身はつつしみ深く、自分の心をひきしめて身を保つこと。
ここで、坂村真民さんの詩も引用したい。タイトルは「生むことの恐ろしさ」です。
あるテレビで若いタレント俳優が産むことの喜びを言っていたが、そのとき思った。女は産むことの喜びを知ることも大事だが、産むことの恐ろしさも知らねばならぬと。産まれた子がどんな子になってゆくか、それを知ることによって、自分をよりよい者にする努力が大事だからである。産むことより育てることの大事さをわたしは言いたいのである。本当に恐ろしいような子が増えてきた。かつてない繁栄の裏に、かつてない黒い影が拡大している今の日本である。
自分をよりよい者にする努力こそ恐ろしい。だから学問を修め、学問に励み、職業を習って身につける、そして多くの人々に及ぼすようになりたい。
北海道神宮
064-8505
札幌市中央区宮ヶ丘474
011-611-0261 011-611-0264