坂村真民一日一言―人生の詩、一念の言葉

重信川沿いにある開花亭。ここで書いているこのエントリーは坂村先生のご自宅をあとにしてから記しております。

坂村先生のご自宅にてお線香を上げさせていただいたあと、温かくお迎えいただいたお嬢様とのお話しをさせて頂きまして、もう感謝で一杯なのですけれど、お腹も減りました。
そこで、朴庵が隣接するこちらにて、食事をさせていただこうというわけです。

訃報を聞いてからついに年末には行けず、今日の二十日、何とか四十九日までには間に合ったと言う思いと、先生への感謝の気持ちのたかまりをお位牌の前にてお伝えさせていただいたのです。

丁度ここまで書いたときに、開花亭の社長さん、稲荷さんにご挨拶を頂きました。

まさに、めぐりあいの不思議。
コーヒーをご馳走になりながら、更に百番碑の意味合いと真民さんと共に石を選ぶ際の逸話などをお聴かせいただいたのです。

全てを記すわけにはまいりませんが、この石に出会ったとき真民さんは、30メートルは駆け寄って「稲荷さん、これやこれやと」抱きついておられたそうです。

それが、こちら開花亭の敷地内にある、第百番碑です。


この詩碑は真民さんの魂が礎ととなっている碑となる。
だからこそと、何度も見つけては真民さんに見せてみる、ところが相応でない。
また探す、しかし違うと石を選んでおられていた、それはとても大変な事だったようです。

だからこそ駆けだして、この石に抱きつかれた。
その光景が思い描けるのは、真民さんと初めてお会いしたときに、この詩碑に頭を点けられて、まるで同化されていて、何か大きな暖かさを感じた経験があるゆえです。

そしてその時、小生が稲荷さんにお伝えしたのは、ほんのつい先程、坂村先生のご自宅のお位牌の前にあったのを、お分けていただいた書籍についてでした。

この書籍は、「坂村真民一日一言―人生の詩、一念の言葉 style=」というタイトルで、日めくりカレンダーのようになっております。
一日一日に坂村真民先生の詩が掲載されているのです。

小生が一番最初に開いたページは、真民さんが天寿を全うされた日、このページでまず頭を打たれたことをお伝えしたのです。

わたしは毎暁月を仰ぎ明星を拝し、石鎚の山から出現される初光を吸飲しながら、一つの月、一つの明星、一つの太陽の下に生きる人間たちの憎悪闘争のあまりにも激化してゆくことが嘆かれてならない。宇宙の霊は同じである。宇宙の愛は平等である。

小生が仏教に触れさせていただきましてから、特に坂村真民先生も信仰されていた不動明王と小生には微塵の疑いもなく信仰をさせていただいているのですが、やはり実体というのがイメージできないようなこともあり、心が迷っておったような次第であって本日は真民先生にお線香をと、ここに来たのです。
それが、先生のお位牌の前に置かれていた書籍を、それも先生のお亡くなりになった日に、ちゃんとメッセージとして受けとらせていただいた、なんとも有り難い。

そしてさらに、今日という日を選んでページを開きました。
そして今日の一言は、「二度とない人生だから」であったのです。
僕が坂村真民先生と出会った詩は、紛れもなくこの詩であってこの詩に出会ったからこそ坂村真民先生を学ばせていただける事にも繋がったのです。
ここに「二度とない人生だから」をご紹介いたします。

二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛をそそいでゆこう 一羽の鳥の声にも 無心の耳をかたむけてゆこう 二度とない人生だから 一匹のこおろぎでも ふみころさないようにこころしてゆこう どんなにかよろこぶことだろう 二度とない人生だから 一ぺんでも多く便りをしよう 返事はかならず書くことにしよう 二度とない人生だから まず身近な者たちに できるだけのことをしよう 貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう 二度とない人生だから つゆくさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い 足をとどめてみつけてゆこう

真民さんと直接お会いすることは、もう叶わないけどこの書籍と、詩国と、真民さんの声は残ってる。


さて、文中でも記しましたが、この書籍は、坂村真民さんの著書としては最後となりました。
内容は今までの詩篇などから特に藤尾さんが選ばれたのでしょう、一年の日付順に綴られております。
真民さんをご存じの方も知らないという方にもお薦めできます。

写真は、真民先生のお位牌の前にある書籍、タンポポ堂の印があるものです。
お分けする用意もありますからその際はご連絡をメールで下さい。
メールアドレスは、setokeiichiro@gmail.comです。

開花亭
791-2113愛媛県伊予郡砥部町拾町16
089-958-5551

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