ほとんどのところ、相談室と調査現場くらいの範囲でしか知り得なかった場所、堺市。
ところがチョコチョコと動き回るようになって、今では餃子の美味い餃子の薫風さんや、塩ラーメンの龍輝信さん、それにトンカツ屋さんと、また食いしん坊バンザイ路線になって来た感がありますが、味わい深いまち堺からお、今回はちょっと変わったお蕎麦屋さんの紹介です。
変わったというのは、「蒸したせいろのお蕎麦」を出すお店だからなんだけど、使用されているせいろうや、お椀の色合い。ある店に似てるなあと思っていた。
葱と玉子の付け合わせ方なんかも同じだし、何よりも出汁が極めて似ているものだから、何らかの縁があるのお店なのかも知れないなあと、そんな風に疑問を持っていたわけだ。
そこで、こちらの「ちく満」さんと京都にある「竹邑庵太郎敦盛」は何か関係があるのでしょうか?と聞いてみるわけです。
すると、全く関係ありませんよ、と。さらに京都にそんな店がありますか?と反対に質問を受けたものだから少々驚いた。
それから、そんなことはすっかり忘れていた。
だから、竹邑庵太郎敦盛についてのエントリーでも触れなかったわけだ。
しまし、ある書籍にこんな風に紹介されていたのを見た途端、疑問を持った。
まず、引用しておこう。
温かい盛りそばの「あつもりそば」は、店主の小林めぐみさんのお母さん、恵子さんが考案したもの。ゆで上がったそばは、熱いまませいろに盛られて運ばれてくる。
この書籍のタイトルは、京都蕎麦スタイル57、その、64ページ、「竹邑庵太郎敦盛」を紹介している中から引用した。
これを読むと、「あつもりそば」が竹邑庵太郎敦盛のオリジナルで、「ちく満」は「竹邑庵太郎敦盛」のをパクったって事になる。
あれあれ?「ちく満」は創業して今年312年目のお店。1695年(元禄8年)創業の老舗です。
この上記部分は、コメント欄にご記入いただいた次の点、
ちく満さんの事ですが、残念ながら『創業して今年312年目のお店。1695年(元禄8年)創業の老舗です。』は大間違いですよ。創業は戦後で、戦前はお蕎麦は扱っていなかったみたいですね。従業員内では当たり前のお話ですよ。
投稿者: 本当ですか? | 2008年10月13日 21:42
とのご指摘を受け、「ちく満」店内にあった掲示物をもとに店主に確認してあります。
それなのに、「あつもりそば」の考案者は、先代であって考案したのも先代ととれる。
だいたい、この書籍ってのは読めば読むほど首をかしげることが多いのだが、「あつもり」という言葉を考案したと断じて記してあるから疑問も生じます。
考案というのはつくり出したこと。つまり発明ですよ。
それをこの書籍では、京都のお店が考案したと記している。
これいったいどういう事なのか。「あつもり」の出し方を考案したのか?出し方というのは、「あつもり」を茹でたてのままでセイロに盛って出す事の考案なのか?それとも「あつもり」を蒸したてのままでセイロに盛って出すのを考案したのか?
温かい盛りそばの「あつもりそば」とあるから、これらを全て含んで考案したのか?
いったい、何を考案したとされるのか、僕には理解できないままだ。
この書籍については、以前のエントリーでも記した事がある。
どっちが考案したかなんてどうでも良くなってきた。
それに関係なんてのは知らない方が良いこともある。
さて、書籍と言えば、1973年2月に「街道を行く」で紀州街道を取材中の司馬遼太郎が立ち寄ろうとしたところ、あいにくその日は定休日で、残念ながらちく満の温盛そばを食べることができなかったと「新装【ワイド版】 街道をゆく (4) 郡上・白川街道、境・紀州街道 ほか」の中にエピソードで語られていたりもします。
情緒すら感じる店構えもそうなんだけど、「ちく満」は「宿院」という交差点あたりに存在していて、堺の中でも、この宿院あたりのチンチン電車が走る道そのものに、堺らしさの一面を見ることが出来るからとても良い。
この道に沿って、存在し続けてきた様々な老舗も多く、また、フェニックス通りを走れば独特な雰囲気もある。
そのあたりを今も軌道電車が走っている、それが宿院交差点。
この交差点から左右に延びる阪堺電気軌道は、北は大阪名物通天閣のお膝元「えびす町」、南は堺市の南部、日本最古のフ駅舎で有名な南海は浜寺公園の駅前まで走る路面電車、所謂チンチン電車は今では随分と広告がボディに描かれて派手になったけれど風情よろしく走っている。
その宿院交差点から、ほんの間もないところに「ちく満」があって、この辺りだけは随分と過去に遡るような懐かしい空気が漂っていて落ち着けるから好きなのだ。
堺の街はまだまだ見どころ豊富、機会があれば、堺の街をご一緒しませんか?
ちく満さんの事ですが、残念ながら『創業して今年312年目のお店。1695年(元禄8年)創業の老舗です。』は大間違いですよ。創業は戦後で、戦前はお蕎麦は扱っていなかったみたいですね。従業員内では当たり前のお話ですよ。