賀茂御祖神社

 この様な真冬の季節もそうだけど、いつこのお社を訪れても自然を感じることが出来る。小生が日本正武館に通っていた頃ですから、少なくとも20年はたつだろう、初めてこの「糺の森」(ただすのもり)を通ったとき、霊気のようなものを感じたのを思い出す。当時、故・鈴木正文館長から「糺す」は自己への「質す」と同じだから、といったお話しを頂いていたからで、この森を通る前には神さまに質されるものだと思い一所懸命自らの身を正していた事を思い出す。

あれからも、時折のお詣りではあるが、通らせていただく糺の森はしかし全く変わらない。

これは当然だろうと思うが、いつも身を質し、そして正してくれるように感じられるのは、ここにある自然が変わらずにあるからだろうと思う。つい先日にも来ていただろう、爆弾低気圧にも、この真冬の厳しさにも耐える、というよりも当たり前のように日々、成長し維持している大木から神々しさを感じるのは当然だろう。

ところがこの森を先にすすむと、タバコの空き箱が目に入った。
すぐに拾い上げてみたところセブンスターライト。
これだけなら、何も思わなかっただろうが、捨てられて時間が経ってる事に気づいた。
大勢の人に踏まれたのだろう、ボロボロになってる。

少し前で捨てられたのではなく、恐らく数時間前に捨てられていたのだろう。人通りはまだらだがある、なのに拾うわけでなく、更にそれを踏んでいったわけだ。

自分を”正す”べき森なのに、僕は正直なところ怒りに似た感情を覚えた。そして、先日まで読んでいた、「混迷する世の中をどう生きるか」 style=の内容を思い出した。

今回、神域にゴミがあったことよりも、それを誰も拾わずに放置されていたと言うことに何か違和感に似たものを感じたのです。

渋谷の兄妹殺人事件も、新宿のバラバラ殺人事件夫婦でも、人として、絶対にしてはいけないハズであった何かが抜け落ちてしまっている様に思うのだ。

人や物や金など物質文明の世の中で、日本人の心や精神は、何処かに抜け落ちたままで置き去りにされている。この書籍が出版された時期よりも、更に時代は進んでいるけども、今、正に現代人の心は信じられないほど荒廃しているのではないか。
この糺の森が有史前からから耐え積み重ねてきた霊気すら、人の驕りなら一瞬で吹き飛ばしてしまうのではないだろうか。

そうならないうちに、あらためて、人が自らの力だけで生きているような誤解をしている事に早く気づきたい。

拾い上げたセブンスターライトの箱は、本殿近くのゴミ箱に入れた。
そして「糺の森」を振り返ると、いつもと同じ霊気あふれる空間に戻っていた。
忘れたつもりでいたけど、やはり今思い出してしまったから、書いてしまったが、これでは神社の紹介じゃありませんな。又の機会に書き直します。

なお、書籍は日本古神道研究会の会長 藤原大士氏の著書。
原点を忘れた現代人に警鐘を鳴らし、命の源につながりながら生きることの重要性を説いておられる良書で僕的にはオススメですがいかがでしょう。

賀茂御祖神社」への2件のフィードバック

  1. ミッキー

    昨日、下鴨神社に行って来ました。
    実は、以前に日本正武館がこの近くにあるという情報を得て見学を兼ねて行って来ました。
    ところが日本正武館は既になく研修道場になっていました。

  2. Keiichiro Seto

    そうですね。
    もう20年になりますか、この場所は閉鎖されました。
    鈴木館長はもうおられませんが、正武館は別の場所にあると聞いたことがあります。
    ミッキーさんのブログ拝見しました。
    そして僕の大好きな食べ物が豊富。早速アンテナに登録させていただきました。

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