伏見稲荷大社 大山祭

本日は伏見稲荷大社の代表的な祭礼、大山祭(おおやまさい)でした。

この祭礼は、まず正午に本殿の儀、午後1時30分から山上の儀がはじまりますが、僕は山上の儀が行われる御膳谷で神職の到着をお待ちしています。

「かわらけ」を御饌石(みけいし)の上に供える神事は、小生の月参りにおいて、いつも拝殿としているところで執り行われるので、僕にとってとても大切に思える神事であるともいえます。

特にこの日は周辺の燭台や、御饌石を護っている柵も取っ払われていて、写真のように御饌石もよくみえていて、写真では判り辛いですがとても有り難い雰囲気が漂っていて、自ずとテンションも上がってきます。(御饌石は木の袂に見えますね)

そして伏見稲荷大社 中村陽宮司をはじめとした神職の方々も到着、山上の儀がはじまりまりました。


さて、この大山祭には5つの特色があるように思います。
まず1つ目は、「かわらけ」を御饌石(みけいし)の上に供える神事を、そのお側で感応させていただけること。
2つ目は、その神事のあとで頂けるネックレス、いや失礼、「ひかげのかつら」という自然に育っている「かずら」の一種をいただけること。
3つ目は、一の宮で右耳に指す「杉の小枝」をいただけること。
4つ目は、「ひかげのかつら」と、「杉の小枝」を神職と同じように身にまとうえる事。
5つ目は、宮司を先頭とした拝礼に、我々大山祭の参列者も同行させていただけることです。

(中村陽宮司は前からお二人目の方です)

実はこの5つ目がもっとも気に入っている点。「ひかげのかつら」を首にかけ、杉の枝を右耳あたりにつける。
その上で、宮司さんを先頭とした拝礼の儀式に同行させて頂ける事など、一般的にまずその機会を得られない為です。

それも、御膳谷から稲荷山山頂の「一の峯」上の社(末廣大神)、「二の峰」中の社(青木大神)、「間の峰」荷田社(伊勢大神)、「三の峯」下の社(白菊大神)、「下ノ社」白菊大神、田中社(権太夫大神)と、稲荷大社の本殿まで、山上の御神蹟その全ての拝礼へのをご同行。
これが僕にとっては、とても有り難いわけです。

ちなみに、御膳谷でいただける「ひかげのかつら」は、とても生命力が強い点からも縁起が良いと重宝されているもの。
これを神職の皆さんと同じように首にかけ、また、杉の枝を右耳あたりに飾って、その列に続き稲荷山の神蹟を順に巡ってゆくのです。

さてここでSt.KYOTOさんのブログでも紹介されていた『都年中行事画帖』は、平安京都の祭りなどの風俗を描いた(詞書:江馬務、画:中島 荘陽 日文研所蔵)の絵及び詞書。ここにその絵をご紹介させて頂くとともに、その詞書も引用しておきます。


平安京の頃、どのようにこの「かわらけ」が扱われていたのか、よく判りますので興味を持たれた方は次の引用文にお目通し下さい。

初春とはいへ睦月五日のことにしあれば、稲荷山の谷々は北風を孕みて冷気一入いみじ。そを物ともせず御前谷は拝観の老若男女をもて埋め、況して杜氏の若者ども法被姿にて縄張外に腕を扼して甲斐甲斐しく居並ぶ。神職一同浄衣に日蔭の襷がけ、白丁をして白酒盛れる土器七十を入れたる唐櫃を舁がせ、縄張のうち所定の處に供へ、修秡祭文朗読おはり、今や其の唐櫃の蓋開かむとすれば、待ち設けし若者は吾先にと人押しのけ縄飛び越えて唐櫃の中なる土器を奪ひとらむとし、互に犇きあひ殺気満ちわたり、その物凄さいはむ方なし。昔は神職祭のあと宴を行ひ、土器を捨てしを拾ひしなるを、今はかく狼藉に陥れるはいと悲しむべし。さあれ土器の破片は家門繁昌造酒のまじなひとて、二三十円に売れることなればさもあらむかし。
国際日本文化研究センターWebサイトより引用

何だか、このかわらけ一つ頂くのも争奪といった感じだったようですが、今では参列者の全てが、とってもおとなしく祭礼に参列し、そして、おみきの白酒や七十の土器は順に並んで賜れます。
厳かでゆったりとした雰囲気ですから安心というわけです。(笑


そして、本殿に戻ってきました。
この祭礼を通してそうですが、大山祭への参列者はロープの中を進ませて頂けます。
ですから、多くの一般参拝者をしばらく遮ることになりましたけど、稲荷大社の本殿にでゆっくりと参拝をさせて頂けました。本当に有り難い祭礼ですから、機会があれば是非にもご参加下さい。

SpecialThanks:御膳谷の西川所長

伏見稲荷大社 大山祭」への1件のフィードバック

  1. こーたのブログ

    なんちゃって龍大生とおいなりさんな日々②

    龍谷大学の授業が終わって
    帰り道においなりさんの総本山
    稲荷大社へ
      
    ここの神社は狐のおいなりさんと千本鳥居で有名です…

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