生駒山 寶山寺にて「縁」を想う。

縁にも色々あるが偶然というのも縁だろうか。

2006年ラストの月参りで旧友に出会ったのは「偶然」、しかしそれが聖天堂の前、それも雨空のため境内はガラガラ、それも昼下がりとなれば、「縁」とも感じる。彼と僕は久々に出会ったのを驚きあい、特に僕は声をかけられてから10秒くらいポカーンとしていた。それから石段途中の土産物店でコーヒーを飲んで、別々の車で地元に戻ったわけだ。いやしかし本日の月参り、たっぷりと時間がかかったものだ。

朝、寶山寺に向けて出発する時、大雨。だけど「親孝行だから雨に濡れない」僕は当然傘を持たずに出かけた。
京都からはたいてい高速に乗るのだけど、今日は乗らずに枚方から交野へ抜ける。しかしいっこうに雨はやまない。

ところが、お寺の駐車場に停めたとき雨は上がった。
そして、山門をくぐり、不動堂のお不動さんにごあいさつ。聖天堂の内陣で参拝をすませ、般若窟にむかったのです。

寶山寺の境内から不動堂や、聖天堂の後ろをみれば、その「般若窟」が全容を現します。
その磐山は崩れそうな、いや先程えぐり取られたように鋭利な岩肌が際だっており、そこに陽の光が差したから、登らずにいれなかったのです。

この「般若窟」の名は、役行者がこの場所に般若経を納められた事に由来している。
曇り空なのに、そこに光が差したのだ。だから、この岩肌が雨で滑るというのに登ろうと思った、そして気がついたらもう役行者さんの前にいた。

役行者さんを見上げますと、身を乗り出すように、そして目線を下にいただいていて、その前にたたずんで般若心経をとなえるのだけどその声にもつまる程の臨場感、般若心経から南無神変大菩薩と唱えるまでに、どうやら小一時間ほど経っていたことにあとで気づいた。


それから、奥の院、開山堂。途中の気になるお地蔵様にもご挨拶をいたしまして、先ほどの縁の話し。
聖天堂の前に戻って彼とあうまでにざっと3時間。本当に久々に時間をかけたお詣りなのでした。

ところで、駐車場への参道にて、絵馬の交換をされるほんの少し前に出会いました。
今年の干支は「犬」。その絵馬から来年の干支「猪」の絵馬に変わる前。
これも縁であろうかと、暫し考え込んで、もう前のお詣りから一ヶ月経った事と結びつけた。


そもそも、すべては縁によって生じ、縁によって滅びる。この身は父と母を縁としてこの世に生を受け、そして数々の食べ物には宿っていた命をいただいて成長・維持され、また、この愚鈍なる私の心も、ご縁の上にいただいた経験と知識からお育ていただいている。

だから、この身も、この心も、縁によって成り立ち、縁によって変わることを知らなければならない。

漁師さんの使う「網」。
その網の目が、互いにつながりあって網を作っているように、すべてのものは、つながりあっている。

ただ、ひとつの網の目が、それだけで網の目であると考えるならば、大きな誤りである。

網の目は、ほかの網の目とかかわりあって、一つの網と言われる。
網の目は、それぞれ、ほかの網が成り立つために、役立っている。

今これらを読み返し、初心に返り新しい年を迎えるための準備をしよう。
この世の中に、さとりへの道を始めるに当たって成しがたいことが二十あると「仏教聖典」にあった。
引用して、今年最後の生駒山宝山寺への月参りについて記し終える。

 一、貧しくて、施すことは難く、
 二、慢心にして道を学ぶことは難く、
 三、命を捨てて道を求めることは難く、
 四、仏の在世に生を受けることは難く、
 五、仏の教えを聞くことは難く、
 六、色欲を耐え忍び、諸欲を離れることは難く、
 七、よいものを見て求めないことは難く、
 八、権勢を持ちながら、勢いをもって人に臨まないことは難く、
 九、辱められて怒らないことは難く、
 十、事が起きても無心であることは難く、
十一、広く学び深く究めることは難く、
十二、初心の人を軽んじないことは難く、
十三、慢心を除くことは難く、
十四、よい友を得ることは難く、
十五、道を学んでさとりに入ることは難く、
十六、外界の環境に動かされないことは難く、
十七、相手の能力を知って、教えを説くことは難く、
十八、心をいつも平らかに保つことは難く、
十九、是非をあげつらわないことは難く、
二十、よい手段を学び知ることは難い。

人が心に思うところを動作にあらわすとき、常にそこには反作用がおこる。
人はののしられると言い返したり、仕返ししたくなるものである。
人はこの反作用に用心しなければならない。それは風に向かってツバキするようなものである。


参道の梅の木には、そろそろ咲き始める準備をしている「梅のつぼみ」が沢山ありました。
きっと良い肥料と充分な準備がしてあるのだろう、だからこそ新たな芽生えが待ち遠しくも、これこそまさに今の自分へと投影できる現象であって、また、縁の尊さを感じる一日でもありました。

昨夜から、随分と冷え込んできました。
足元を温かくするためにも、ゆったりとお風呂に浸かるようにせねばなりませんな。

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