ストーかとの出会いに(縁)と冠した今回のエントリー。
ストーカーに関わると人間が生きて行く上で大切なのは何だろうかと、思うことがあります。
もちろんこれは日々変わる質のものがあれば、一生変わらないものもあろうな。
世間一般のものなら、今年の漢字が「命」であったように、これまでもその年によって、またそれらを取り巻くコミュニティによっても、大切にしなければならない何かは変化してきたのだろう。
個人と個人の関係から生じてくるストーカー被害者や、ストーカー側の感情を併せ記すのは、はばかるところだけれど、ストーカー被害は、人と人との別れから生じるものではなく、出会ったときの関係にこそあるのです。
たとえば我々が2003年から2005年に扱ったストーカー案件の中で、同性同士や雇用関係は27%で、男女の恋愛感情から間生じた問題が67%でありますが、すべての案件の原因は「出会い」にあるものです。
知り合いのパイロットにお聞きしたのですが、着陸はやり直しが出来るが、離陸はやり直しができず、聞けば離陸では、V1速度、つまり”臨界速度”というものがあって、これより前ならば離陸を中止できるが、これを越えると飛び上がるしかないという、いわゆる離陸直前の決心をしなければならない速度だそうです。
恋愛関係の離陸とは、出会いです。
このタイミングは、この臨界速度であり、だからこそ良く見極めるべき事なのです。
少し範囲を広めるなら、引きこもりやニートといった、親との関係が上手く行かないといった事を、出会いとした事からもきっかけから大切にしておきたい事とも言えましょうか。
ところが大抵の親は、自立だけをすすめている。
引きこもっているというのに、自立をすすめるというのが、その親に限らず親戚など単に自立だけをすすめてる滑稽な事も目にして大笑い、引きこもらせておいて、ここまでにしておいて、オイオイ今さらどうやって自立しろと、いうのだ。
いや確かに自立は大切なことです。
大切なのは、その自立の中身で、「子どもが親から離れる事」が自立です。
離れることも大切だけど、離れたり、切ったりするだけなら、これは「自立」とは言えず、そ孤立してしまうような事になる。その様に思うのだ。
切っても切って切れないものなんだ?
昔からあるナゾナゾにこんなのがあるが、答えは「縁」であると、子供の頃に教えられた。
切っても切れない親子の縁を、切ったかのように錯覚して、その強烈な我が儘の主張(思い)の中で生きているのは、自立とは言えない。
縁は、時には楽しく素晴らしい。時に出会いの頃はそうだ。
しかし、わずらわしく、またうっとうしくなることもある。
時には逃げ出したくなる、これらしがらみを、自分に課せられた「行」であると、味わって生きようとする生き方こそが「自立」なのだ。
ストーカー問題にまで発展した男女の関係まで、この「縁」にふくめ、また自立として捉えるのは、気が遠くなることなのかも知れない。
しかしながら、出逢いとは、やはり「縁」。
出会って離陸するまでには、その縁を大切に見極めておくことが重要だと、ストーカーの話を聞く度に思う。
ストーカー被害者・加害者ともが不幸な結果にならないために。
はじめまして。近畿36不動尊霊場会についてではいつもお世話になっています。
先達のきめ細かな案内文のおかげで24ヶ寺を廻り終える事が出来ました。
今回、メールをさせていただきましたのは、先達のブログに初めてアクセスし、ご職業に目が留まったからです。
かれこれ、2年半あまりストーカー被害に遭っています。
先達のご指摘にもありましたように、別れ方等、先方に納得がいかないからこういう結果になっているとは思います。
社会的地位に相応しからぬ素行不良と生活の乱れを矯正するために、天台の某千日回峯行者の里坊に連れて行き、手を合わせることを教えました。
別れてから、私の仕事関係や連絡がつく限りの所に「狐が憑いている」とか「結婚詐欺」と手紙やメール、電話で連絡をしまくり、エアガンを打ち込み窓ガラスは割るわ、挙句の果てにヘンな新興宗教に走って〝救霊〟(深見東洲の〝ワールドメイト〟?)と称し、鬼門や門の前に盛り塩とお洗米を置かれる被害に遭っています。
本人は外資系大手の管理職ですので、会社の知る所となれば、クビなのですが、警察沙汰になっても
(ストーカーとしてすでに警告も出ています)呼び出されると嬉々として出頭するし、とにかく無視されるよりは構まってもらえることに喜びを見出しています。
昨年「警察から逮捕するからどっかに身を隠せ」と逮捕直前まで行きましたが、私が化学物質過敏症という病気を持っていて、簡単に住まいを替えられない事やこの時期(防虫剤が出回る冬場)は特に体調が悪化し、寝たきりになることもあるので、そう簡単に移動が出来なくて、見送りました。
最長で半年しか拘留出来ない上、その後は仕事もなくしてしまえば毎日でも来てしまいます。
警察の指示で防犯カメラも設置しましたが、隣家の取り壊しで
来週にはカメラを移動させなければ行けない上に、塀一枚のすぐ近くまで来られるようになります。
警察は一切、本人とはコンタクトするなということなので、その後、一度もコンタクトしていませんが、公衆や非通知で番号を変えた携帯に電話が掛かったりということもあります。
本人は発達障害(対人障害、アスペルガー症候群)の要素があり人付き合いが苦手で、仕事上判断に迷った時に私(本人より6歳下です)の指示を仰ぐようになり、精神的な支柱になったようですが、私自身は、自分の病気のこともあり、お付き合い後半は、ほとんど積極的に連絡をしなくなっていました。
3年前に海外に転地療養に行った時もありとあらゆる方法を使って、居所を調べ〝10万枚のお護摩の灰で作った不動明王〟(この時は改心したのかなと受け入れてしまいました)を届けにきました。
何か興味の対象が移れば、なくなるとは思うのですが、自分で積極的に女性を見つけたりと言うことが出来ないので、困っています。
仕事以外にも大学院の博士課程に
通っているようで、時間もないはずなのに・・・
何度か姿も見られて通報されたりしていても、週1〜2回は来ています。
警察の見解としては、凶暴性がないので、緊急性がないという判断ですが、いい加減、私も信用は失くすし、精神的にもエアガンから以降すっかり眠剤のお世話になり、我慢の限界(家族も同様)で、本人に気づきがない以上、会社の上司に相談し、興味の対象を移すことに協力してもらえなければ、先達のような関係機関の協力をお願いしないといけないことになります。
誰もこれ以上、傷ついたり、迷惑(阿闍梨さまにもご迷惑をおかけしていますし)を受けることがない結果が一番ですが、
感謝したり、徳を積むことを曲解されて、こんな結果になってしまい、どうしたらいいのか理解に苦しみます。
このストーカー騒動は、自分の至らなさを知る機会を得たし、こんなことがなければ、もっと鼻持ちならない自分だったと思うので、
いい気づきの機会として自分に与えられた試練だと思います。
ただ、残りの半生を、様々な問題を抱えていらっしゃる化学物質過敏症の患者さんの支援と社会復帰や健康回復に努めたく、
そちらに注力したいと思っています。不思議なことに、36不動尊を廻らせていただくようになって、かなり想いが形になりつつあり、お不動さまのご加護を感じます。
長々と失礼しました。探偵会社に相談するというのなら、たぶん書かなかったと思います。
今日はお不動さまに導かれた気がしました。瀬戸さまのご多幸とご活躍、心よりお祈り致しております。
向寒の折、くれぐれもご自愛下さいませ。