今回の九州三十六不動霊場めぐりは、逆打ちである。
以前のエントリーでお遍路と巡礼は違うといった事を記した事があった。
要は、「お四国さん」も「三十六不動巡礼」も「同行二人」を同じように口にするところは同じなんですが、四国の方は弘法大師様と二人とするのに、不動霊場の場合、我即ち不動明王、不動明王即ち我なりとの意味での同行二人という意味。
小生は新たな不動尊とのご縁を求める行であると思わせていただいているのです。
逆打ちの話しに欠かせないのは、衛門三郎の話し。
これが初の逆打ちとされているので宜しければ目を通して欲しい。
四国を巡礼中の弘法大師が、ある日、愛媛県松山市の郊外の大きな屋敷に托鉢に訪れた。そこの主人の衛門三郎は強欲で、何度も訪れる乞食僧(大師)を追い払い、最後には大師が持っていた鉄鉢を8つに割ってしまう。その後、大師は訪れることがなかったが、三郎の子供八人が次々と亡くなった。そこで、三郎は托鉢に訪れた人が弘法大師と気づき、今までの自分の行いを悔い、大師を求めて遍路の旅にでた。しかし、簡単には会えない。二十数回目に、順番にまわるのをやめ、逆にまわりはじめる。心身とも疲れ果て、十二番の焼山寺で倒れてしまう。意識が遠のいていくときに、大師が現れ、罪を許してもらう。最後の望みとして、「今度、生まれ変わるときは、領主になりたい」と願った。そこで、大師から衛門三郎と書いた小石を授けられ、それを握ったまま死んでしまう。
その後、伊予の領主に男の子が産まれる。ところが、その子の手はしっかりとにぎったまま開かない。困り果て、安養寺(今の石手寺)に連れていき、祈念をした。そうすると、手から衛門三郎と書いた小石がでてきた。人々は衛門三郎の生まれ変わりと思った。
先に「逆打ち」と記したように、霊場の札所を巡礼してゆく事を「打つ」といいます。
巡礼に際して、昔の巡拝者は自分自身の氏名を木札に書いて、目的の霊場の山門などに「打ち」つけていた事に由来しているのです。
つまり、一番の霊場より発心、つまり巡礼を開始して、三十六番霊場まで番号順に巡るのを順打ち。
逆に三十六番から一番へ、反対に巡礼するのを逆打ちと言うのです。
伊予国の衛門三郎は弘法大師に逢いたいその一心から、霊場を逆にりました。
今回の僕の心境は、更なる不動尊とご縁に出逢いたい、その一心です。
鹿児島東急ホテルにて
佛の里、国東路から豊後の国へ。海が煌めく太陽の国宮崎。
南国情緒あふれる鹿児島へと、誘われるままに不動巡りの旅に出てみよう。
耳を澄ませばお不動様が語りかけてくるような、きっと何か良いことがある。