2006年ラスト望年会
ぶらっと歩こう、そうおもって歩き始めたのは中央区本町で、ホテルにつくまで小一時間ほど着いた頃にはすっかりと酔い覚めしてた。
お願いしていたマッサージの方に「すごい体ですね」と筋肉じゃない、ブヨついてる脂肪の奥にあるコリコリ筋を指摘いただく。120分の施術をお願いしてすぐのことだ。でもあとの記憶無し。夜明けと同時に目がさめたのはカーテンが全開だったから。
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ぶらっと歩こう、そうおもって歩き始めたのは中央区本町で、ホテルにつくまで小一時間ほど着いた頃にはすっかりと酔い覚めしてた。
お願いしていたマッサージの方に「すごい体ですね」と筋肉じゃない、ブヨついてる脂肪の奥にあるコリコリ筋を指摘いただく。120分の施術をお願いしてすぐのことだ。でもあとの記憶無し。夜明けと同時に目がさめたのはカーテンが全開だったから。
縁にも色々あるが偶然というのも縁だろうか。
2006年ラストの月参りで旧友に出会ったのは「偶然」、しかしそれが聖天堂の前、それも雨空のため境内はガラガラ、それも昼下がりとなれば、「縁」とも感じる。彼と僕は久々に出会ったのを驚きあい、特に僕は声をかけられてから10秒くらいポカーンとしていた。それから石段途中の土産物店でコーヒーを飲んで、別々の車で地元に戻ったわけだ。いやしかし本日の月参り、たっぷりと時間がかかったものだ。
朝、寶山寺に向けて出発する時、大雨。だけど「親孝行だから雨に濡れない」僕は当然傘を持たずに出かけた。
京都からはたいてい高速に乗るのだけど、今日は乗らずに枚方から交野へ抜ける。しかしいっこうに雨はやまない。
ところが、お寺の駐車場に停めたとき雨は上がった。
そして、山門をくぐり、不動堂のお不動さんにごあいさつ。聖天堂の内陣で参拝をすませ、般若窟にむかったのです。

小生は、全国一の宮会で発行されているの御朱印帳を使用します。
御朱印帳の中を見ると、説明のあと1ページ〜106ページまでは神社名、107〜118ページまでの12ページは白紙で自由に使用することが出来る構成です。
今回のエントリーは、この御朱印帳に記されている神社名を記しておくことが目的ですから、小生にとっては巡礼予定地と履歴の表となります。
しかし、御朱印帳の順に神社名が並べられていて、また、それがリストされているものは全国一の宮会のWebサイトにもありませんでしたので、次に記す「御朱印帳の順番に記した神社名は、特に住所と電話番号を書き加えて記してあります。
このカテゴリで記されるのは、小生の「全国一の宮」への参拝に関しての記録です。
江戸時代前期の神道家・橘 三喜は、延宝3年(1675)から元禄10年(1697)の、23年の歳月を費して全国の「一の宮」をはじめ諸寺社仏閣に参拝したといいます。またこれを「一宮巡詣記」全13巻に記したことから全国にこの「一の宮参り」が広まったとも言われております。その当時では、北海道や沖縄の神社は含まれておりませんでしたが、小生は由緒ある神社として新一宮も参拝させて頂きたく、正に北海道から沖縄まで「全国の旅」となりますが、やはりあくまでも出張のその先30km以内、これは守ろうと思っております。
ここ数年か、お店のガイドブックがよく読まれていて、出版社も食べ物関係なら積極的なようだ。
これは京都に限らず、大阪や神戸などにも盛んで、大変な書籍数、一体どれが正しいのか判らない。
だからもうそろそろ、そんなグルメ本に対して自分の意見をぶつけられる場所があってもいいじゃないか。
それが、最も鋭いカタチでウェブに登場したのが食べログ。
誰でもがお店の評価をしてそれを共有するといった仕組みが面白いから受けた。
およそその基準について様々な意見がわき起こり、その統一性の難しさから閉鎖されていった所謂レストランガイドのたぐいが多いなか、流行語の受賞をしそうなほど良く耳にした、だから小生もこれは利用させて貰ってる。
なぜなら、これらはその記入する側が実際に食べてその感想を記せるから、何よりも信憑性がある。
全てとは言わぬが、その殆どが具体的で役に立つからだ。
毎年この時期、特に師走の月の15日は、感謝の気持ちで登拝しつつ石段を上がらせていただく。
ところが今年は昨年と違う。この十石橋に紅葉が積もってるところだ。
今の季節に紅葉って変だと思いませんか?
まあ確かに朱の色に積もった黄色の落葉が美しいです。
ですから、美しいものは美しいのだから、これにはしばらく足を止めて見入っておりました。

でもこれはおかしい。だって昨年には全く出なかった汗が今年は出たんだから、間違いなく冬の訪れは遅くなってきているよ、間違いない。
ストーかとの出会いに(縁)と冠した今回のエントリー。
ストーカーに関わると人間が生きて行く上で大切なのは何だろうかと、思うことがあります。
もちろんこれは日々変わる質のものがあれば、一生変わらないものもあろうな、世間一般のものなら、今年の漢字が「命」であったように、これまでもその年によって、またそれらを取り巻くコミュニティによっても、大切にしなければならない何かは変化してきたのだろう。
たとえば、先日不動尊霊場の法要があった岩屋寺さんに祀られていて、年が明ければ恒例のドラマが放映されよう元禄赤穂事件がある。
これなど、今もその様な風潮が強いわけだが、仇討ちをする側の赤穂藩士は称賛され、吉良の側が悪者となってドラマの中で表現される。
つまりこれは、時代によって美化されるものや、評価される基準が変化してきているから歴史の変遷があったともいえるわけだ。
自分の決意を強く示したいとき、「絶対に」という言葉を使うようになる。「言った以上は必ず守ります」といって威張って言う人、あるいは「もう絶対タバコは吸わない」と決心するのもそうなんだけど、これはよく考えれば、言っている本人様は「絶対」なんて無いのを知っているわけですね。それなのに、その時の決意が強く、そして高いと示したいのでしょう、割と簡単に口にしてしまう人が多いのです。
平成11年10月26日火曜日、JR桶川駅前で21歳の女子大生が刃物で惨殺されるという事件があった。
そして、事件後に明るみに出てきた被害者、また被害者家族と警察との関係。被害者と家族は半年以上も前からも異常で執拗な行為を受け続け、警察に被害を訴えていたことが判明した。
また、この事件の捜査が進むにつれ、この卑劣な行為を重ねていたのが十数名のグループであったことには随分驚いたことを思い出しますますが、これらのいずれの加害者への捜査も終結してそれぞれの加害者は殺人や名誉毀損などで送検され服役しているのは周知の通りでなのです。
思えばこの事件が起こった頃から、「ストーカー(Stalker)」は認知されてきたように思える。
最近デートDVといったストーカー規制法で扱えないのもあるが、一般的なストーかというたぐいのこれら実行する側は、実はそうするしか方法を思いつかなかったのであって、出来ればそんなことはしたくなかった、わけです。
このカテゴリにこれから書こうと思うことは、印象深かった案件が何らかの傷を負ったり負わそうとしていたり、またストーキングされるような要素をもった将来は被害者になる可能性のある方への警鐘となればと思う事例などで、我々がストーカーに専門的に対策する組織を立ち上げてからの15年に関することであります。
そもそも我々はご存じの通り、浮気調査のそれで喩えるとわかるように、殆どがその証拠を収集するようなことこであって、人を怪しむところから入るようなこと、これは無かったのです。
ところがこのストーカー対策を専門とする室を立ち上げてからの実際では、ストーカーの被害者から事情を聞き取り、司法警察官のように証拠蒐集をするための張り込みを行い、時には目の前でものを壊すような瞬間を発見した場合、取り抑えたりもしていた。
ゆえに怪我をさせてしまったことがあって、その際はこっぴどく警察に叱られるようなこともありました。
何だか、一気です。
本日、今まで公開せずにおいていたエントリーを一気に公開したのです。
だから少し12月からも遡って、11月後半エントリも見てください、辻褄を理解いただけないかも知れませんw。
さて、まずは本当のことの話しから。
実は、ここ最近。
何かをし忘れているなあと、あれれ何かが違うぞ、とそんな風にいたずらな日ばかりを重ねていたのはこれ本当。
だからブログを更新しなかった、これが理由なんです。
…ってのでは言い訳にもなりませんな。
で、強いて言うならばこう。
忘れたくっても忘れられない事を忘れる事ほど難しく、いや、実は忘れていたと言うよりも忘れたことにしていたわけです。いや、これもまた更新しなかった理由になりませんよ。

幸せな時間のままでとまっていてくれれば良いなあと。あとでそんなこと思ってもこの世で幸せ100%の時間なんて現実おこる確率などありゃしませんよな。例えば愛とか恋とかというものに浸っている二人なんてのはそれを知っていて、幸せに感じるような時間を創出しあう。
だけどいずれか一方、またそのうちの誰かが、この創出や共感や受容をする事に関心しなくなってくる。
恐らくこれは時間の経過に関係してるものなんだろうけど、そしてそうなると、ついには幸せだった時間は思い出として残そう、つまりいい人であり続けたいなと、いやあるいは忘れようと随分と努力するよう変化してくる。
まあ一般的にはそうですな、そんなスタイルが美しく見える。
こたつに入っているときに、遠くに聞こえるチャルメラの音。
最近ではあまり出逢わなくなりましたが、この音が聞こえたらどうしようと迷うのは今も変わりませんん。
小さな頃に食べた味は脳に記憶されているのですがて、これがチャルメラの音でスイッチが入って食べたくなり、抑えられずに表に出て呼び止める。
このように思い出したらどうしようもなくなる食べ物があるが、空港からの帰り道、やはり、このように、どうしても止まらなくなってしまう。
ここが懐かしいと思えるのは、町の中華屋さん的で、それも昔からやってるお店だから作りも昼間見ればオッと驚くほど…。それがここ「かどや飯店」であります。
箱崎宮駅から徒歩で箱崎宮の方に向かうと、その参道沿いにあるのが「恵光院」の山門、恵光院は筥崎宮の中にあります。
本堂横にある庫裡玄関の呼び鈴を押させていただくと、とても元気な奥様にお出迎えいただいた。やはり何か気をつかわせるような雰囲気を出してしまったのでしょう、何だかあれやこれやと気さくにお声かけを頂くことになってしまった。自分が行者として不動尊めぐりをしているというのに、奥様に気遣いをさせてしまったと、このお寺様ではそんな後悔からはじまった。

櫛田神社から少し東へ、大きな「祗園」の交差点。その大きな通りに面しているお寺は、はじめて博多に来たとき「なんて立派なお寺だろうか」と衝撃を覚えたのを思い出す。
「逆打ち」一回は「順打ち」三回相当のご利益、功徳があると言われているが、これを狙って逆打ちを始めたのではない。前回記したとおり更に不動尊とのご縁を深めたいその一心にある。

今回の九州三十六不動霊場めぐりは、逆打ちである。
以前のエントリーでお遍路と巡礼は違うといった事を記した事があった。
要は、「お四国さん」も「三十六不動巡礼」も「同行二人」を同じように口にするところは同じなんですが、四国の方は弘法大師様と二人とするのに、不動霊場の場合、我即ち不動明王、不動明王即ち我なりとの意味での同行二人という意味。
小生は新たな不動尊とのご縁を求める行であると思わせていただいているのです。
逆打ちの話しに欠かせないのは、衛門三郎の話し。
これが初の逆打ちとされているので宜しければ目を通して欲しい。
お不動様と親しまれる不動明王。
言わずもがな三十六不動霊場とは、不動明王の眷属である三十六童子に因んだ、謂ゆる不動尊の曼荼羅世界を現したものであり、この霊場を巡拝することは不動尊の功徳をことごとく得るという信仰の表れです。
全国にある不動尊霊場の中でも、九州三十六不動尊霊場は、幸い多くの寺院が風光明媚の地にあり、付近の風物を味わいながらの霊場参拝は、きっと心の安らぐ慈愛の度となるでしょう。
とはいっても九州三十六不動霊場めぐりは全行程1,530kmという宏大な霊場巡拝です。
一度に全てを巡るには日程上無理な方々には県単位、地域ごとの巡拝をお勧めします。
これから記す里程は自動車で巡るための「およそ」の距離です。経由する道路により変化しますので、出発前には充分な準備をなさってください。霊場寺院の縁起や詳細地図、周囲の主な観光などを冊子もありますのでご活用下さい。
*宿泊の必要な方は、各寺ともあらかじめご連絡をいただければお世話いたします。中でも★マークの寺院は宿泊設備がありますので直接ご相談下さい。