かく谷老舗

ニシンと言えば、5月頃から美味くなるものと言えようか、にしんナスなど冷えたものですから夏にむけても美味い。しかしこれを蕎麦の種物として頂くとすれれば、小生の場合は今ごろからとなる。この雨雲が移動すれば秋。そのように特ダネの天達予報士もその様に言っておられたためだ。

まあ秋とは言えど、初秋なんですがその時期を前に、頭の中はニシンソバなんです。
今ごろ少しは朝夕だと寒さすら覚えますので、何か温かいものをと思うからなんでしょうか、なぜか真っ先にニシンソバを思い出すのです。

だから今こそニシンソバの旬ではないのかと、その様に思っているのですが如何でしょうか。
ただね、この時期はほぼ毎日食べるのですよ。

そこで、今回はニシンソバの美味しい「かく谷」さんのご紹介。
本当は随分な老舗なのに、こぢんまりとしてますが、

その前にこの「ニシンソバ」について少しだけ、小生の疑問点を記します。

京都で、ニシンソバの老舗ということになると、一般的には二手有りましょうか。いずれも創業やニシンソバについてをお店のホームページに記してあるのです。

まず松葉さんは明治15年、やぐ羅さんは明治33年から「にしんそば」を作っているとされているのです。さらに松葉さんのにしんそばの由来というウェブページにはニシンソバを考案したと記してありますから次に引用しておきます。

 食文化の中心地のひとつである京都は、野菜は豊富だが魚介類にはあまり恵まれない土地だった。海から遠い内陸で、新鮮な魚は手に入りにくかった。戦後、輸送手段が発達するまで、京都で食べられる魚といえば、北前船が運んでくる身欠きにしんや棒鱈など、干し魚が主流だったという。例えば、にしんとナスの炊合せは、いわゆる出合いもので、京都では月末にこれを食べる習慣があった。京都人が長年培ってきた地の知恵は、干し魚ならではの旨みを引き出したのである。そうしたにしんの棒煮をそばに合わせるという発想をしたのが、『松葉』の二代目当主・与三吉。明治の初めのころ、柔らかく煮あげたにしんを、そばの種ものとして使ったところ、瞬く間に京都中の評判になつたという。「何とか店の名物を作りたいと思って、いろいろと工夫をしていたようです。にしんだけでなく、棒鱈もそばの上にのせてみたそうですが、人気が出なくて、すぐにやめてしまったと聞いています。やはり、にしんとそばとは相性が良かったんでしょうね」と話すのは、現当主の松野泰治さんである。にしんを煮る煮汁は、考案した当時からずっと使い続けている。醤油、みりん、砂糖などを合わせた秘伝のもので、毎日このタレでにしんを煮ては、減った分だけ調味料を継ぎ足していく。北前船がなくなり、北海道でにしんが獲れなくなって、適したにしんを探すのも難しくなったが、『松葉』では今でも昔と同じ『にしんそば』の味を伝えている。その醍醐味は、そばとだし汁とにしんとがしっくりと馴染み、それぞれに引き立て合うところにある。『松葉のにしんそば』は、やはり数々の出合いものを作り出してきた、京都ならではの名物なのである。

                2001年2月 あまから手帖

まあもっとも別にどこが元祖でも本家でも、今が美味ければそれで良いのです。しかし、「かく谷」さんの歴史を紐解けば、今の先々代が北陸は石川県から京都に出てこられ、そば屋を開業。そして、身欠にしんを京名物として広めたとされているのが、明治維新の頃。つまり、明治維新となりますと「かく谷」方が歴史的に断然古くなってくる。そうなってきますと、「にしんそば」を発想して作ったのもこちらで元祖となってくるわけで。いやあ何とも悩ましいことなのです。

さて、前置きが随分と長くなりました。
本題の、かく谷のにしん棒。これは、やんわりと口になごむから美味い。
そもそも、にしん棒自体の味、それが、鉢にはられたダシと一体になると蕎麦もまた旨くなる。
それぞれの味が程よく和んでいるのから美味いのです。


そう言った意味で、かく谷の「にしん棒甘煮」は腹のあたりまでもが旨くて、ほとんどの方はお持たせの棒にしんを求めてお帰りになる。
それほど美味いにしんも、ここの出汁には和むしかないほどエエ出汁が出とりますし、
おそばも信州は霧下粉の特上品にとろろ芋と玉子で打たはったもん。これを、注文のたんびに湯がいて、聖護院さんにもご縁のある白河水の冷水でキュッと。

いやあ、この季節にこの様な空き腹でこの様なことを記しているのは、身体にこたえます。
さて、ここいらでぶらりとでかける事にいたします。

京・聖護院
かく谷老舗
京都市左京区聖護院山王町39
075-771-2934
11:00 16:00
17:00 22:00

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かく谷 (そば / 丸太町)
★★★☆☆ 3.5

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