夫婦の嘘

8月も最終日。写真は滋賀県の北部あたりの茶店でお出し頂いたのでございまして、中にはよく冷えた番茶がたっぷり。この夏も様々な方とお出会いをさせて頂いたなあと感謝しつつ黄昏れた時間を過ごしておりました。


机の上に置かれたこれら風景というのは、少し前なら日常的な日本の風景であったはずなのに今ではこの様なところでないと日常がない。そう言った日常・非日常という意味では、特に今多くの家庭の中では見られない非日常の家庭風景なのではないか。もしも日常の中の一息、嘘でも良いから自分の家庭にこの様な風景が現れたなら、難しい問題などやり過ごせる日々がくるのかもしれない。当たり前の日常として。

さて、今日は夫婦の嘘について記してみたい。
私のおこなうところの夫婦カウンセリングというのは、最初からお二人に会うわけではなくって、まずはどちらかのお一人とお会いすることになる。通例でその様になっております。一方ずつのご意見をお聞かせいただく中で、それぞれの言い分を私がお聴かせいただくことで感じさせていただくこと。これが目的となっているのです。

すると、大なり小なりの「嘘」をつかれている。と言うようなことがありまして、この嘘の現出しなければならない事情背景やその人の傾向を統計的に理解するためにも必要だと思いましてから一時期こればかり、まあ研究のようなことをしていた頃がありました。

すると、その嘘に様々なパターンと申しましょうか種類や種別、傾向などといった分類に分かれることも判ってきたのです。それについては到底ここで記せるような質量ではありませんから、おいおいと記して行くことに致しますが、そのおよそだけを順不同にならべてみますと、法螺やいかさま、インチキに偽り、ペテンに疑惑、詐欺ねつ造に美人局、やらせとまあ様々ですけれど方便の嘘というのもございます。

これらの嘘、つまり、いかさまや、インチキ・偽り・ペテン・疑惑・詐欺・ねつ造・美人局と、どれもが刑事事件としての範囲内となっても宜しいような、まあ実際には警察の目に触れることなどございませんでしょうけれども、シャレでは済まされない事柄が、夫婦間の間に存在致しております。その様なことを事前にどちらかから一方よりお聞かせいただくと言った時、これはやはり許せない嘘、悲しい嘘という事になるのでございます。

その様なときと言うのは、小生の立場的には全く持って情けないのだけれど、それはあなたが悪いと怒鳴るようなことも有りましたし、帰れと突然返したようなこともありました。その時というのはご自身を省みていただけるだろうと、間違いのない自信があったからという背景に対する自信もあったのでそうしたのですが、自分の腹立たしさが無かったわけでは、やはりありませんでした。


この様な懺悔は今回の主旨では無くって、「ホラ」なら許せるのですということなのです。
嘘の中で、何とか絶えうることが出来るのは「ホラ」なのであります。法螺と申しましても、修験者が霊場で吹き清め鳴らすような法螺ではなくって、嘘の中で言う「ホラ吹き」のホラであります。

ホラとは、許せる嘘であり笑える嘘、愛すべき嘘であって、その人のことが好きになるような嘘なのであります。これをホラ吹きのホラと解釈しております。

さて、この嘘ですが、小生のところにお越しになるご夫婦の中で存在しているのは、殆どが許せない嘘、悲しい嘘なのでございますけれど、このホラ吹きのホラのような嘘が存在しているような事はありません。きまってそうなので、とても驚くところなのでございます。

ここで誤解していただきたく無いのは、ユーモアのそれと、このホラとは違うと言うことです。
ユーモアというのは、勿論のところその場をユーモアで満たしてくれます。暗い家庭にはユーモアがないのです、だから何となくくらい家庭、笑い声のある家庭が明るい家庭なのだとされているので、笑顔とワンセットの笑い声、そして何よりもその人から滲み出てくるような明るい空気というのは必要なのですね。だけど、ユーモアとホラ吹きは異なります。

ユーモアというのは、やはりその場しのぎなのであって、所詮はユーモアを発する人の一人称。そのユーモアは独りよがりな時が多いのです。
しかしながらホラは違う。
ホラというのは、家庭のシナリオなのです。

ホラというのは、ムズカしい言葉で言うなら、家庭の理念なのです。
言うならばホラは家庭に共通したイメージや将来的な夢や願望が根付き続けて行く為に必要なエキスなのです。

ですから、この「法螺技(ホラ技)」を磨く事というのが大切なんだと、これが小生の持論であります。
法螺技とは、家庭に必要とされる家庭人の履修項目というわけです。

ユーモアや偽りとは異なっているホラ技。
一般的に嘘と偽りはイコール同じ意味でとらえられておりますが、小生は全くの別物と捉えさせて頂いております。「嘘は方便」だけれども「いつわりは罪」なのであります。

夫婦間においての嘘と偽りに関して申すならば、夫婦互いに嘘は良いけれど偽りはダメですよと、ホラ技は日頃から磨くための努力、つまり修練も鍛錬もしておいた方が良いとお伝えさせて頂いてるのです。

だけど、小生の処にこられる方、およその夫婦の場合、「馬鹿正直になんでも」という関係と、「ホラをついても下手くそ」である関係に大凡分類されている。しかし不思議と案外に長い間夫婦関係を不思議にも継続させて来られているのです。
こられなければ、いつかはその反動も含めて夫婦間で大爆発を起こしてしまわれたのでしょうけれど、「馬鹿正直に何でも」も「ヘタなホラ」にしても、それは人間らしい可愛らしさとして、認め合って過ごされてきたから。これが持っていた理由なのでしょう。その様に思っております。

だから何でもかんでも、ホラ技と言うわけではありませんが、可愛い夫婦もいず・黷ヘ円熟してゆくように互いに成長もしてまいります。ゆえに、面白いホラ吹き夫婦でありますように、何とも一朝一夕に簡単にはまいりませんから、日々修養、鍛錬も円満な夫婦関係づくりには必要というわけです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。