奥さんにモテル事こそ理想的

昨夜は土曜日。京都の繁華街とりわけ祗園に出たのですが、似合わない洋服を身にまとっている男性、それも取って付けたような装飾的時計やアクセサリーというのは何とも目に付いて嫌悪感を感じる。何に盛んなんだろう、そんな男性を見受ける度に考え込まされるのですよ。

はやりのレオンなんてのを読んで、ちょいワルおやじというのも、何だか高校生デビュー(通じないかな)みたいでしらけるのね。今さらワルもないだろう本物になるわけでもなかろうに、と。だから普通の背広で良いじゃないのかなあ、その方が似合ってるように思えます。

長年着てこられたんだから、巧く着こなせるじゃないですか。

そもそも奥さん推奨と言うことでもないでしょう。

まあ顧問先の社長さんの奥様ならこれは別。常にその社長にビシリと似合う洋服が選択されている。
その奥さんの凄いところはブランド品の色やデザインを覚えておいて仕立だけをオーダーするところで、出来上がったその洋服はブランドのそれよりも生地がよく上等な出来栄えになっている。
当然タイもバッチリあわせられていて、このコーディネイトに感心するほどなんです。

そこで、ちょいワルの恰好についてを。
この奥様の言葉で記すなら「沈んで見えはる」(京都弁:「はる」というのは他人事をさす)。とこうなるのです。あのようにキラキラとしている極度の装飾を身にまとっているというのに、沈んでると言い放たれるとは当の本人は知るよしもなく、こうなるともう裸の王様バリと言うことになって同じ男性として、チョイ悲哀を覚えるのであります。
ちなみに小生の作務衣姿については「お似合いドスえ」とわざとドスを効かしてお褒めいただいたが、その真意は未だわからない。

さて、何れにいたしましてもですね、この沈んで見えるチョイ不良はこの奥様からはモテてはいないわけであります。いやむしろ、いくばくかは小生の方がモテているのでありまして、当の本人は不本意な結果となっているのです。そしてこの結果は本人に知らされていないわけですから、いやはや、何よりもこのチョイ不良オヤジの奥様は、となりますと、更に残念な結果と相成っておりますなあ。

まあこのように、沈んで見えるチョイ不良オヤジばかりではありません。
彼らの中には時折、といってもほんの一握りですけれど似合っているかなあと思える方もおられ、その時、小生実は引け目に感じている時もあるほどです。(作務衣オヤジが何を言うかとも言えますが)

ですが、沈んで見えるオヤジと、この人の違いなんてのを考えるに、実は、このように似合っている方というのは、ポロシャツにジーパン姿でも充分な格好良さが滲み出ているのですね。何だか男性の小生が言うのも何ですがセクシーなんですね。女性ならきっと感じるところだと思うのです。ですからこのように思われる、若しくは感じられるようになれるなら、そこを目指した方が良いなあと思うのです。
ですから、今日はそんな彼らのことを考えてみましたよ。

そもそも何故ゆえに祗園でレオンばりの恰好を決めるのか、です。これはおネエちゃんにモテて決めるという目的がある故でありましょうなあ。先日のテレビで新宿のキャバクラ嬢の熾烈な売り上げ合戦的な番組がありまして、その中で結果的にナンバーワンになったキャバクラ嬢がこう言ったのですよ。
「お客様は恋愛を求めてこられるから、私たちはそれを提供するだけです」

この様なことを聞いても、小生なんぞそう驚きません。
特に風俗関連などは、常に最先端で知り得続けてないと成り立たないお仕事でもありますからね。

ですがテレビで公言するというのは今までには考えられなかった秘め事で、これら暗黙の了解というのをいけしゃあしゃあと、テレビで、それも笑顔で発表している女性がいる環境に驚いたのです。
ソープランドでもやはり2時間ほどの間に恋愛関係を持とうと努力するのはソープ嬢であって、男性は性欲を満たす為ではあっても、やはり恋愛関係に応じるのだろう。ピンクサロンやヘルスでもそうだろう、性欲と恋愛というのはワンセット。短時間だけど切り売りされる事で成り立っている。

だから、恋愛なんてキーワードはこれらのプレー中または、その時間内は心の中で秘めておく事であって、口にしないものなのだ。だからこそ、その時間が過ぎたあとでも気分が良いわけであって、もしも恋愛(擬似的な)というようなキーワードが互いに露見しているような関係のあとなら、それこそ「沈んで見えはる」わけだ。

話しが、更に二転三転してしまいそうだ。
それに夏休み中でもあるからシモネタ自粛。

しかし、この話というのは、夫婦関係において似た状況、特に心理的な関係において似ているのかもしれない。

たとえば、この手の話し。セックスレスの問題とは密接にリンクしてくる。
夫婦だから、セックスをしなければならない。という考え方は夫の側にいずれストレスを生じさせ夫婦間の恋愛という感情に亀裂を生じさせるかも知れない。また恋愛をしなければならないというのに、チョイ見当違いな方向へ進んでいたりしても、互いに気づかない関係に既にになっている場合もある。

先日来、私が関わらせていただいている男性(48歳)も、「もう妻を愛するなんて出来っこない」と言い放っている。
他の女性を愛しているのに奥さんを愛することは出来ないというわけです。
まだ奥様とはお会いできてないけれど、この男性のチョイワルスタイルを見れば、どれだけときめいた顔をされていないか容易に想像できる。


いずれにしても、人生にときめきは必要である。
恋愛などと、45を過ぎた小生がほざくのもどうかと思うが、夫婦関係の破綻に繋がるようなものの見方や考え方というのは、ときめいていれば生じてくる性質ではない。夫婦間のセックスレスにも通じてくる問題だ。夫婦関係の破綻とセックスレスの問題について、また記してみたいと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。