お父さん・お母さん。この呼び方で夫のことを、妻のことを呼ぶことについて考えますと、夫婦間に対する新鮮な刺激を得ることが出来ないように思います。
前回この様なことを記しましたが、様々なご夫婦とカウンセリングの場面でお顔を会わさせていただくと、この呼び方が実に多い事に気づきます。
確かに夫婦の間に子どもを授かったならば母親であり父親である事に違いはなく、尊重し合うというか自然と夫婦間において呼称が定着してくるのです。これ少しは微笑ましくは思えるのです。
昔から、日本ではその様な習慣というような感じであるためです。
しかし改めて考えますと本当にこれで良いのかと思えてまいります。
単純な話し、こうなってきますと妻から見ればお父さんである以上、男として感じることが出来るか、また、夫から見ればお母さんである以上、女と感じることが出来るかです。セクシー夫や妻からセクシーさを感じることが出来るかという事に不安を覚えるのです。
もちろん、子どもの前と夫婦だけの時とは頭を切り替えている。そんな人もおられるでしょう。けれど、お父さん・お母さんと呼び続けてゆく習慣を重ねているうちに、きっと夫からは『男』を、また妻からは『女』を感じなくなる。すると刺激のない日々に益々と刺激のない日々は重なり、夫や妻に魅力を感じない、お互いにつまらない関係の夫婦が生じてくるように思えてくるのです。
夫のあなたは奥さんの子どもで無いことなど当たり前のことですが、案外お母さんに依存している夫。また母親だと心の奥底で思いこんでいる、そのような夫という名の子どもが多いのです。ですから奥さんの子どもではない事を記したわけです。ですから、どうぞ奥さんのことを出来るならばファーストネームで呼んでいただきたい。「お母〜さ〜ん」は、 ハナマルキ だけでいいのです。
いずれにしても『お母さん』という存在は大変素晴らしい。
まずお母さんは、夫という子どもを育ててこそ一人前の母親になれ社会にも認められるのです。そして、次には夫と子どもを育てて行き、夫と共に子どもを育て未来を夢見ている。
だからそう言った意味で、子どものある夫婦にとって、妻は間違いなくお母さんと呼ばれて然るべくな存在となっているのです。
ですから妻が周りからお母さんと呼ばれている事にも誇らしさを感じて、つい妻の前では夫であり男であるべき基本姿勢を忘れてお母さんと呼びはじめてしまう。
だからといって、このままお母さんと呼び続けるわけには行かないのです。
なぜなら、そうし続けることで近い将来に夫が妻の子どもになる。家事や子どもの世話など何もかもをお母さんに任せることで夫は夫としての機能を忘れ去ってゆくからで、妻(お母さん)がいなければ何もできないような夫(お子さん)へと固定化してしまうようになって、最悪にもこれらは親子的な親密度だけは深まりやすく短期間で夫は長男としてデビューしてしまうことになる。
そして長男としてのデビューをすると、そう簡単にはその関係から逃れられなくなります。
長男としての夫は随分と長男でいることに温存してゆきますから自らを決して脱却しなければならないためで、家族を養ったりするための給料を持って帰ったり、子どもに対してその責任上親の顔をする父親であったりはいたします。
そう言った意味、つまり父親としてお母さんと協力してゆく共同作業を行う仲間的な意識は深まり続けて行くのです。
しかしながら、また残念ながらその関係にはセクシーさという魅力は欠落していて情とかいう言葉でその関係を記すクライアントが多いから、あえてそう記しておこう、この情のみの深まりしか効果を得なく、いくら夫婦の間でこの情の関係性が深まったとしても、もはや夜に求め合う関係とはならないのです。
そして、これらの問題は特に30歳から50歳位までに起こりやすく、そして解決しておくべき問題なのであります。
同じようなことばかりを繰り返して記した様に思え反省している。また後日この解決する方法などについては記してみたいと思う。それじゃ今回はこのあたりで。