夫婦に向き合うことについて

また小生の事をまどろっこしい書き方で記します。

ご存じの通り、私は、興信所や探偵社と言われる業種に身を置いておりますから、人様にこの仕事を知られるか、もしくは自己紹介をした瞬間から、興信所の職員や探偵さんといった、その人とは違った世界に蔑視されるか興味本位の目にさらされる事になります。

だけど、この仕組みについて気づいてきたらそうでなくなってきた。
今までにこのような事が多かったのは、「誰かを恨めば自分が苦しむ」と言ったとこと同じで、自分自信が自分の仕事を一般社会とは隔絶したところにある、もしくはそうでなければならない、またもしくはアンダーグラウンドの世界にあるほうが良いとも思っていたからでした。

それは私の職に新たな要求が加えられた、つまり、興信所の職員は職員でも、探偵は探偵でも、夫婦カウンセラーの部分が自分としても納得して活躍できるようにになってきた頃でした。

思えば、随分前からこの言葉を使っているのですが、この夫婦カウンセラーという言葉は、実際の面談を行う前に「ヨシ、今からはカウンセラーだ」と自己変化させるためのキューワードであって、職務上の権限を意味する言葉ではありません。

ほとんどの面談では、二時間×五回のワンセットでは足りない時間を要しているのであって、シリアスな調査などからそこに自分の思考や感情の移行を行うには、つまりコミットするために大変役立つキューワードというわけです。

だから、小生の名刺には「調査部長」の肩書きはあっても、夫婦カウンセラー等という立派な肩書きはない、もしも付けると言われたらお断りだ。

さてこのうえで、この様なカテゴリをこしらえて、更に夫婦カウンセラーなどという小生自身は重宝しているキューワードまでここに登場させているわけだけど、これらのことを、ここで記すには、厳密な制限が求められる。

だからここでは心理学の専門書や、夫婦げんかの痴話げんか的な内容など面白おかしく興味を持っていただくような事柄など、特に厳密な制限をもって一切の事例を紹介することは無い。
夫婦カウンセラーとしているときに小生が得た「夫婦生活が改善するヒント」のみをご紹介してゆこう。

少しだけ考えて欲しい、教会での結婚式。
神父さんが「死が二人を分かつまで、愛し敬うことを誓いますか?」の問いかけに、「誓います」と厳粛に答えた二人。

この時の二人は、誰からぬ二人で誓い合っているのだけれども、他には誰に誓っているのだろうか、実は神にも誓っている。
だからこそ、その当時に神父は「わたしものとから、この女子を娶ることを望みますか?」と問い、答えられた誓い。
これは、(きっと)神への宣言なのです。

しかし、相談にお越しになるときは、その当時の二人ではありません。
その時に、どのように、そしてどのくらい、二人の誓いを深く受け止めていたのでしょうか。
そして、日々の結婚生活でどのように変化していったのでしょうか。

小生は、興信所や探偵社と言われるお仕事です。上にも掲出し続けてありますとおり。

浮気調査や証拠収集調査は離婚に直結する様にテレビドラマなどから連想される事が多い。しかし離婚とは違った選択肢をより多く提案する事で、ここに来れば全てが解決されると評価頂戴している事は継続すべき自分の指命であり、またそれらのサービスについて常に掘り下げ新しさを取り入れていて、本質的な依頼主本位となるよう常に省み提案や改善を行えるようにしている。もちろん浮気調査以外の様々な人間関係や新たな取引等では与信を含み常にクライアントに最善となる調査に基づいた選択肢を提案し続け新たな変化への対応を行う。そうする事で興信所や探偵といわれるより「安心して相談できる探偵調査サービス」会社と呼ばれること、このスタイルこそが業界のスタンダードとなって親しまれて欲しいとも願っています。

何とも長ったらしい、理念とも目的とも言えない文章でありますが、小生のキューワードとしての「夫婦カウンセラー」という言葉もこのポストでお見知りおき下されば幸いです。

このカテゴリでは、どうしてこの様に誓い合った夫婦の「ヘソ」と「ヘソ」が向かい合わなくなってしまったのか、そのきっかけの出来事、つまりリスク要因を追求してみたり、リスクを回避し除去する方法などをご紹介して行きたいと考えています。
繰り返しますが、このカテゴリは、心理学の専門書や、夫婦げんかの痴話げんか的な内容など面白おかしく興味を持っていただくような事柄など、特に厳密な制限をもって一切の事例を紹介することはありません。

あくまで、夫婦カウンセラーを行っている際に、小生が得た「夫婦生活が改善するヒント」のみをご紹介してゆきたい、その様に考えているのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。