彼と巡礼

初めて彼が来たときはお父さんに連れられて来ていて、おとなしいなあと感じるほど押し黙っていたのでこちらも困ってしまった。そんな少年だった。
そのお父さんに聞くと彼は中学校の時に酷いイジメにあってから引きこもり、通信制の高校に入学はしたものの通学しない日を重ね、ついには母親に暴力をふるってしまったのでお連れになったのだった。

以前に、巡礼をご一緒した方のご紹介とのことで、その方からも電話でお願いされていたのだけど、予想以上に暗く沈みがちで、こちらが吸い取られるほど精気を感じなかった。
いつまでたっても話さずに押し黙ったままだから仕方ない、小生のアルバムを見せてみたのだけど、これが良かった。興味を示してくれた。

「カッコ良いっすね」こう聞こえたように思う。
何がと問い返すと、格好いいと言い始めてアルバムを見入ってゆく。

それは巡礼に挑み始めた頃の写真で、手には「金剛杖(こんごうしょう)」、それに「白装束」に「おいずる」。「南無不動明王」の刺繍も存在感がある写真だ。
中には、入滝の写真もあった。

「いきたいです」。
「行きたい」のか「生きたい」のか、と問い直そうと思ったけれど、そう、頑張ってねとお父さんが仰ったから、小生も合わすことにした。
そして、一人で巡るのかと聞いてみると、彼はうなずいた。

せっかく近畿三十六不動尊を巡礼するなら、お経を覚えて、写経も持っていって納経したらどうか、と勧めたら、彼は小生の道場(自宅にあります)に通ってきて写経や読経をしました。

10月のある日、「明日から行ってきます」と報告に来ました。
近畿三十六不動尊巡礼を歩きで始めた彼は、電車やバスを駆使して巡礼し時折は携帯電話でも今何番の札所だとか宿はどうしている、野宿をしたなどの連絡をしてきてくれます。

少しの距離ならば電車やバスを使わずに歩いたりして12月の寒風を受けるまでに結願をしたのでした。
その後、高野山の奥の院に連れて行って欲しいと頼まれて、再会したときには彼は合掌で挨拶をしてきました。

その姿は、神々しくて今でも眩しかったように感じたことを覚えております。

さて、彼も小生と同じように「白装束」に「おいずる」姿で巡礼をされたのだけど、やはり同じように時折はご接待を受けられたようです。

巡礼をしておりますと、「お茶でもどうぞ」と、御寺院からご接待を受けることや、見知らぬ方から金品をいただくこと、また、手を合わされるようなことがあって、ドキドキとするような事もあります。
彼の場合ですと、車に乗せていただいたようなこともあったそうで、本当に優しくしていただけるようなことが多いのです。

これは、佛教で「四摂事(ししょうじ)」といいまして、布施・愛語・利行・同事の四つを言います。
「他人に施しをする」、「親切な言葉をかける」、「他人の利益をはかる」、「他人の身になって援助する」です。

「布施」には、仏さまの教えを説き聞かせる「法施」と、金品などの贈りものをする「財施」、畏れ(恐れ)を取り除いてあげる「無畏施」の三種類があります。

「財施」など有り難いお話しを頂けたり、いつもお茶のご接待をいただけたり、例えば恐ろしく感じる滝であっても導いていただけたり、近畿三十六不動尊の巡礼は四摂事を実践するいい機会でもあるのです。

大変な恐ろしい事件が続いています。
だから親は子どもに対して、知らない人についていってはいけない、知らない人から物を貰ったりしても断り、もしも、誘ってきたら大声で叫びなさいと、徹底して教えています。

小生が巡礼を初めて間もない頃、白装束、金剛杖などの巡礼スタイルで、自宅から近畿三十六不動尊霊場へと出発した。

電車の中、阪急電車に乗りますと中年のご婦人がヒソヒソと小生を見ながら話しています。

ああ、やっぱり霊場に着いてから着替えれば良かったなあと思っておりますと、その女性が二人して近づいてきまして、「これご接待です」と三千円を差し出された。

「いや、要りません」と即答したら、この様に仰ったので「ハイ」とうなずいたのち、小生は赤面する以外なかった。

「これは貴方に差し上げるのじゃない、貴方と一緒に巡礼してくださる、お不動さんにお布施をさせていただいているのです。私たちのためにもお不動さんにお参りしてください」。

今思っても本当に有り難い事なのでした。

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